寄れば去る都会育ちの蜻蛉かな

西川緑道公園での句。人間との距離感は危険度によって違ってくるのだろう。場所によっても違うし、たぶん時代によっても変わってきたのだろうと思う。蜻蛉が子供の絶好の狩の対象だった時代に比べるとずいぶん油断しているように見える。と思って手を出すと、やっぱりひらりと飛び立って、また一回りして元の場所に戻ってくるのだが、、、。(2015年秋詠)

「寄れば去る都会育ちの蜻蛉かな」への2件のフィードバック

  1. 子供の頃の夏休み、確かに蜻蛉捕りや蝉捕りが日常でしたね。
    私の場合は木を切って作ったライフル型のゴム銃で蝉を打ち落とすなんて、今考えると残酷な事をしたものです。
    家の庭というか畑というか柿の木が沢山有って小さなミンミン蝉が一杯居て恰好の標的だったのです。

    1. それがあったから命の大切さも分かったのだろうと思います。
      今の子供たちにはそれが無いからなあ、、、。

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