駄菓子屋の窓に瞬く聖樹の灯

古い句です。徒歩通勤の途中に小さなお店がありました。子供用の駄菓子から日用品まである、昔の田舎にあったようなお店です。入口の引戸はサッシになっていましたが、入ったらチャイムが鳴って、しばらくして奥のほうから腰の曲がったおばあさんが出てきます。夜は厚手の白いカーテンが引かれ、お店の灯は消されます。残業した帰りに通ると、そのカーテンの向こうにいかにもささやかな聖樹と分かる明かりが瞬いていました、、、。その後おばあさんは亡くなり、お店も無くなってしまいました、、、。(2000年冬詠)

寒椿二つ三つが良かりけり

昨日と同じく昨年の早島での句。H女史にこの詠み方の句が多い。その詠み方を真似てみたら案の定採っていただけた。去年は椿が咲くのがずいぶん早かった。我が家の椿は十一月から咲き始め、年末にはもう満開になっていた。今年は、まだ蕾が硬い、、、。(2015年冬詠)

ふりむきし庭師の若し年用意

昨年の早島いかしの舎での句、ちょうど庭師が入って植木の手入れをしていた。門を入ろうとした時に振り向いて挨拶した顔はずいぶん若かった。なるほどなるほどと思いながら手際の良い作業を見学したが、思っただけで我が家の庭木の手入れには活かせていない。今年はまだ紅葉がきれいに残っていた。もうしばらくは楽しめそうだった、、、。(2015年冬詠)

ベランダの錆びし鉄柵花八手

朝ゴミを出しに行く所がちょうど昔住んでいた家の前で、ゴミを出して帰ろうとするとその佇まいが目に入る。今住んでいるのは独り身の無頓着な方で、玄関脇の八手は奔放に育って二階の窓に届きそうになっている。ちょうど花の季節、木が奔放なら花も奔放、その奔放に咲いたクリーム色の花がさびれた古い家の佇まいとよく合っている、、、。(2000年冬詠)

また一人去りて北風吹く日かな

何となく詠んだ句です。掲句とは関係ありませんが、プール通いも五年目です。やはり会う人は変わって行きます。見かけないと言っても、もともと知らない人なのですぐ気づくわけではありませんが、ある日ふとしばらく見かけない事に気づいて、どうされたのかなあと思うのです。その割に新しく来る人は少なくて、ちょっとブームが去ったのかなあと思います、、、。(2015年冬詠)

あやふやな記憶たどりて日短

冬至まで二週間、ほんとに日が短くなりましたね。考え事をしていてもすぐ日暮が来てしまいます。もっとも、最近は記憶があいまいで、考え事はするのだがどうもうまく繋がらない、時間だけが過ぎて行く、そんな事が増えたことも一因ですが、、、。(2015年冬詠)