青竹の垣の奥なる雛の家

三月です。最近は町を挙げての雛祭の行事が多いですね。掲句は昨年二月の倉敷での吟行句です。雛飾りも美しいのですが、随所に使われている青竹の色も緋毛氈とマッチして美しいですね。倉敷へ行く途中、足守でも古い通り沿いに雛の展示を見かけました。こちらは倉敷ほど華やかではありませんが、町並みにマッチした落ち着いた展示がされています。機会があれば是非どうぞ、、、。(2015年春詠)

掌を上に御仏春の昼

昨年春、父の十三回忌での句です。実家のお寺で少人数で慎ましく行いました。ありがたい読経を聞きながら見上げた先の大日如来坐像です。若いお坊さんですがよく勉強されていて、一生懸命わかりやすく説教をしてくださいます。少しだけと言いながら、こちらも本気で聞いていると、ついつい話が発展して行って、、、。(2015年春詠)

少年の会釈小さし風光る

田舎だから自転車の学生に出会うこと自体が少ないのですが、それでも朝の散歩の途中にたまにはすれ違うことがあります。中には大きな声で挨拶してくれる少年少女も居ますが、ほとんどは知らん顔で通り過ぎて行きます。向こうから来る少年をこの子はどうするだろうと思いながら黙って見ているとたまたま目が合って、瞬間少年の目つきは「しまった」というふうに見えましたが、ペコッと小さく会釈をして過ぎて行きました。反抗期の少年らしい顔つきでした、、、。(2015年春詠)

梅東風や屋根打つ屋根のトタン板

また東風の句です。散歩コースの外れに古い市営住宅があります。ほんとに古くて、半分ぐらいは空家ではないかと思う、その中の一戸です。建物から張り出して増築されたテラスのトタン屋根、トタンの端が剥がれて重ねた下のトタンを風が吹く度に打っているのです。その一定のリズムが面白くてこんな句にしましたが、これも説明が無いと分からない句ですね。失礼しました、、、。(2015年春詠)

如月の田に積まれたる肥袋

さあ始めるぞ、と言った存在感で田の片隅にビニール袋に入った肥料が積み上げられている。少しずつ季節が進むように、農作業も少しずつ進んで行く。冬の間に一度起こされた田はもう緑がかって見えている。次はこの肥料を撒いて、その後をもう一度耕すのだろう、と素人考えで想像しながら通りすぎる、、、。(2015年春詠)

春炬燵眠ればあの世近くなる

何となく出られないでテレビを見ているうちにいつの間にかうとうとしてしまう。テレビの音に気がつけばもう何十分かが経過して、見ていたシーンとつじつまが合わなくなっている。ああしまった、面白そうだったのに惜しい事をした。必要のない時に眠るのは、そのぶん生きている時間が短くなるのだから、考えてみれば勿体ない話だ。なんて野暮な事を考えながら、再びあの世のような時間に入って行くのでありました。日本に生まれて良かった、、、。(2015年春詠)

囀の上に囀ある大樹

暖かくなると何となく心が緩んでくるのは鳥も同じようですね。寒い間は弱い鳥を追っ払っていた強い鳥が知らん顔をしています。上下に分かれてはいますが違う種類の鳥が同じ樹の上で囀っている姿が見られるようになります。春は楽しいですね、、、。(2015年春詠)

二ン月の狐鳴きつつ夜を駆くる

春先だから交尾期の行動だと思うのですが、移動しながら鳴く狐の声がする夜があります。それも相当広い範囲を瞬時に移動しながら鳴いているように聞こえる、ちょっと不思議な不気味な感じの鳴き方なのです。たぶん昔の人はこんなところから狐は人を騙すなんて事を考えたのではないかと思います。近くに神社があり、実際に狐が住んでいますが、まだ騙された事はありません、、、。(2015年春詠)

格子戸の内なる仏春ともし

時々寄るお寺に、久米南町の誕生寺があります。その昔教科書でも習った法然上人の生誕地です。その本堂の左に観音堂があります。小さなお堂です。改まる必要が無く、格子戸越しに近くで拝観出来るので好きな仏様です。何より御顔がやさしい、、、。(2015年春詠)