新雪や行けば我が後道となる

このまま春になるとは思えないのですがどうでしょう、、、?掲句は昨年、雪の中を散歩に出た時の句です。早朝に足跡の無い雪の中を歩くのは子供でなくても楽しいものです。前は真っ白、後を見れば犬と自分の足跡だけが続いている、、、。(2014年冬詠)

霙るるやひたすら眠る川の鳥

最近散歩で会うお年寄りの女性、犬が苦手らしく早くから避けて待っていてくださる。足が悪いらしく、いつも杖二本を使ってゆっくり歩かれている。最近引っ越して来られたらしく、挨拶をすると、「会うのがいつも同じ時刻やねえ」と関西なまりが返って来た。「毎日歩かれているんですか?」「ええ、足腰があかんようになったら困るからねえ。」「そうですよ、歩くのが基本ですからね。気をつけてしっかり歩いてください。」「ありがと!」とまた元気に歩き出された、、、。掲句は昨年の寒い日、、、。(2014年冬詠)

ほろほろと空のはがれて風花に

「明けましておめでとうございます。」「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」「こちらこそよろしくお願いします。暖かくて良いお正月ですね。」「いやあ、暖かすぎて困ることもあるんですよ。」と言われて、???と思いながらしばらく歩いて、ふと気がついた。その方、元体育教師で元国体のスキーの選手、今でも冬にはスキー教室へ教えに行かれるらしく、時々教室用のゼッケンなんかが干してあったりする時期なのですが、、、。掲句は昨年の冬、散歩途中の景、、、。(2014年冬詠)

梟やどつぷり浸かる仕舞風呂

近くの神社には何本もの大木があり、フクロウが住んでいる。静かに風呂に浸かっていたり、寝床で本を読んでいたりすると、時々声が聞こえる。それも裏の柿の木にでも来ているのか、ずいぶん近くで聞こえて驚く事がある。実家でもフクロウの声はよく聞こえた。近くの山の頂にある松林が風に鳴っているような夜に、その松林の方から聞こえる声は、寂しさを通り越して子供心には不気味とさえ感じられるのであった、、、。(2014年冬詠)

軽やかな犬のギャロップ遠雪嶺

空が晴れて遠くに雪をかぶった山並が見えている。こんな日に散歩に出ると気分が良い。こちらが気分が良ければ、犬もまた同様、自然と足の運びが軽やかになる。それがギャロップかと言うと、怪しいもんだが、、、。(2014年冬詠)

添ふ星のひそかに冬の月天心

元旦の早朝に散歩に出ると、明けかかった空に星を従えた、半月ぐらいの月が光っていました。きれいでした。掲句は一昨年前の冬の満月です。冬の月は秋の月と違って、晒されたような美しさがありますね。寒くてゆっくりとは見られませんが、、、。さて、今日は小寒、いよいよ寒さ厳しく、と例年なら書けるのですが、、、。(2014年冬詠)

初旅の後の日常大あくび

句は昨日の続きです、別の話題を、、、、。昨年の古本市で山手樹一郎の時代小説を三冊貰って来ました。たまには、、、ぐらいのつもりで貰った本ですが、読み始めるとこれが面白い。勧善懲悪で全く悪意が無い。その底に適度な男女のロマンスが描かれており、これも昭和世代には心地よいのです。そんな訳で、床の中で読んでいるとついつい遅くなってしまう。最近は睡眠不足の毎日で、あくびは出るが俳句が詠めない、、、。(2015年新年詠)

父母を足せば我顔初鏡

当たり前と言えば当たり前なんですね、、、。鏡の中の自分に、父や祖父の確かな面影を見つける事が多くなって来ました。礼服なんかを着て真面目な顔をしていると、余計にそんな気がしてしまいます。それだけ自分が歳を取ったという事なんでしょう、、、。(2015年新年詠)

包丁の痩の年月去年今年

掲句の包丁はかれこれ25年ほど前、初詣に落合の木山神社へ行き始めた頃、境内の屋台で買った、新見の松水と言う刃物屋さんのものです。以来研ぐのは私の役目、刃の欠けも何度も研いで直しました。さすがに痩せて、他の包丁に比べるとずいぶん軽く感じます。それでも手放せないのは、愛着でしょうか。刃物にはそんなところがありますね。まるで我が人生のよう、なんて、研いでいて思った時の句です、、、。(2012年新年詠)