首折りしままに遠のく浮寝鳥

先日も浮寝鳥の句を書きましたが、こんな句も詠んでいました。ちょうど昨年の今頃、煤逃げに出た吉井川で見た景です。寝ているようで寝ていない。見ていないようで見ている。自然の生き物の生態です。我が家の犬も、寝ているかな?起きているかな?と思って見ているとパチッと目を開けてこちらを見ます。人間には無い感覚を持っているのですね、、、。(2014年冬詠)

着ぶくれて我も子羊神の前

昨年の納め句会に出した阿智神社での句です。ちょっとだけ今年の未年に引っ掛けて詠んだつもりの句ですが、その未年も残り僅かとなってしまいました。この時に子羊の気分になって素直にお願いしたおかげでしょうか、良い年だったと思います。今年は24日が納め句会でしたが、また同じように阿智神社へ行きしっかりお願いをして来ました。来年も無事に年の瀬が迎えられますようにと。暖かい日でした。着ぶくれていると汗が出るくらい、、、。(2014年冬詠)

老いたれば庭も老いたり寒椿

庭を造った時に、「微笑み 」だったか「笑顔」だったか、その名に惹かれて植えてもらった椿の木があります。だからかれこれ三十年ほどになります。大した手入もしないのに、ピンクの大きな花が咲きます。例年だと年が明けてからポツポツと咲き始めるのですが、何と今年はもう満開です!花も数が多く、例年以上に綺麗です!暖かい冬のせいだと思うのですが、今からこんなに咲いて、来年は大丈夫?とも思うのです。今年咲き過ぎて来年は咲かない、なんてのも寂しいですからね。掲句は昨年、こんな句を詠んでいる事から思えば、昨年は花が少なかったのかも知れませんね、、、。(2014年冬詠)

雨粒の光る聖樹の夜明けかな

去年の倉敷での納め句会、12月25日の朝のクリスマスツリーです。お店の前の明かりを消されたツリーに、昨夜の雨粒が光っていました。今年は今日24日が納め句会、さてどんなツリーが見られるでしょうか。たぶん一日違いで去年とは全く別の姿が、、、。(2014年冬詠)

暮早し人住む家に明かり点き

今年は国勢調査の調査員をしました。自分の住んでいる町内が調査範囲になるのですが、それでも知らないお宅や空家が何軒もありました。荒れて蔦の絡まったような家はそれと分かりますが、てっきり人が住んでいると思っていた家が近所で聞くと空家だったりしました。どうも分からないので、夜に何度も明かりの様子を見に行ったりしました。ようするに近所は分かっているようで分かっていないのです。掲句、それより一年前の句です。当たり前ですが人の居ない家には明かりは点かないのです、、、。(2014年冬詠)

釣舟の眠るが如し冬の湖

旭川ダムのダム湖にはいつも数艘の釣舟が浮いている。遠目で見るので詳しくは分からないが、小さな木製の舟の上に合板で作った窓のある箱を乗っけたような形をしている。いつ見ても人の姿は見えないが、通りがかる度に場所が変っているからまんざら動かない訳でもなさそうだ。何を釣るのだろう、きっとあの箱の中は暖かくしてあるのだろうなあ、、、。(2014年冬詠)