機関区を覗けば午後の冬日向

機関区には広い敷地に何本もの線路が走っている部分と、整備に使う背の高い古びた大きな建物がある。建物の中にも線路があり、その一つが塀際まで飛び出した形で、そこに大きな扉がある。夏の間はそこを開けて作業をされていることが多いが、冬は閉ざされていることのほうが多い。たまたま開いていたので覗くと、明かり取りの窓から入った午後の日差がちょうどスポットライトのように線路の部分に当たっていた、、、。(2012年冬詠)

日に何度来るや鶲の声ひそと

困った困った、今度はジョウビタキが戻ってきた。一昨年一冬を玄関前の梁の上で過し、たくさん糞をして去って行ったジョウビタキのようだ。昨年は現れても居つくことは無く一冬安泰だったが、今年はそうはいかないようだ。今度はよりによって車のサイドミラーがお気に入り、人懐っこいのは良いのだが、車が糞だらけになってしまうのは困る。さてどうしよう、、、。(2012年冬詠)

板壁の隙間に明かり神の留守

通りがかりに見えた板壁の隙間の明かりが蝋燭の明かりのようだった。それでふと神の留守を思った。さて今年は出雲ではめでたい事がありました。きっとお集まりになった神々も飲めや歌えやの大さわぎ、宴会続きで戻ってくるのを忘れられるのではあるまいか、、、。(2012年冬詠)

日溜をただ這ふばかり冬の蜂

子どもの頃の寒い冬の日、近所の庭に落ちている大きな蜂を見つけた。全く動かないし、てっきり死んでいるものと思って、手を出した途端に親指に痛みが走った。泣きそうなぐらいに痛かったが、他にも子どもがいたので泣かなかった。結局家に帰っても叱られそうで親にも言わず、数日間ひたすら我慢した。幸い刺され所が良かったのか、見つかるほど腫れもせず事なきを得た。それでもって蜂は動かなくても触るべきではないことを覚えたが、それからも何度も蜂には刺された。今年の夏散歩の途中で久しぶりに足長蜂に刺されたら、腕がずいぶん腫れあがった。子どもの頃の免疫がなくなっているらしい、、、。(2012年冬詠)

時雨るるや木枠の窓の磨硝子

木枠の窓も磨硝子も見かけることが少なくなりましたね。もちろん機能的にはアルミサッシや色ガラスのほうが優れているのですが、下手をすると外れてしまいそうな閉めるのに苦労する木枠の窓や、割れて一部分だけありあわせの透明ガラスを入れた、隙間から北風が入ってくるような窓が懐かしいですね、、、。(2012年冬詠)

稲架襖残る山路のバスの旅

先日稲刈りが遅れていると書きましたが、始まりましたよ本格的に。と言っても今はコンバインですから稲架を見ることはありません。掲句は町内会の慰安旅行で、県境に近い山村で見かけた稲架襖の景です。以前は県境を越えて鳥取県に入ると、何段もの高い大きな稲架が建っており、バスガイドさんがその説明をしてくれたものですが、今はどうなのでしょうか、、、?今は昔、俳句を始めた頃にはこの辺りにもたくさんの稲架が見られました。朝の霧の中に幾重にも重なっている稲架襖はまるで水墨画のようでした。それを見ながらの徒歩通勤でした、、、。(2012年秋詠)