さざ波の数の春光まぶしめり

プラスチックレンズになって眼鏡の値段は安くなり重さも軽くなった。それはメリットだけれど、デメリットとしては傷つき易くなったことがある。硬い物にぶつかると傷つくし、汚れを拭き取った時に細かい擦り傷が出来たりする。そういう眼鏡をかけていると、傷で光が拡散して、それに加齢による視力の衰えが加わって、何でもない光がやたらと眩しくなってしまう、、、。それはさておき、掲句は程よい眩しさの漣に覆われた、備中国分寺近くの旧山手村役場の建物がある近くの池を眺めていたときの句、眼鏡を新しくした後の句です、、、。(2014年春詠)

春光の眩しさに繰る雨戸かな

今は雨戸の無い家や、在ってもシャッターだったりするようですね。築三十年の我家は、いわゆる引戸タイプの雨戸ですが、材質は金属です。それをガラガラと近所中に聞こえるような音をたてて開け閉めするのですが、さすがに三十年も経つと戸車にもガタが来て、一筋縄ではいきません。知らず知らずに身に付いたテクニックを使っています。春は曙、何といっても開けたとたんに飛び込んでくる春の光は最高ですね、、、。(2014年春詠)

春光のまぶしき朝のにはたづみ

だいたい雨上がりの天気の良い朝は眩しいものと決まっていますが、早春のそれは特に眩しい気がします。ちょうど山の上に朝日が顔を出す頃に、東へ向って歩く散歩コースは、アスファルトの道も、道に出来た水溜りも、空気までもが輝いて見え、目を細めても追いつかないぐらいです。特に最近、、、と書きかけて気付きましたが、これって視力の衰え、、、?(2013年春詠)