風吹けばほろりと零れ芋の露

今年は旱続きで、散歩途中の畑の芋の葉も露どころではない風情、色も変わりしおれてきています。一雨欲しい所です。子供の頃は七夕も月遅れでした。ちょうど夏休み、短冊に願い事を書く墨を磨るために朝早くから芋の露を集めに行ったものでした。とうとう上達はしませんでしたが、そうして墨を磨ると習字が上達すると言うことでしたね、、、。(2015年秋詠)

塀越しに見ゆる木槿の五つ六つ

七月になりました。木槿は秋の季語ですが、我が家でももう咲き始めています。掲句は昨年の七月二日、児島の憩いの家にお邪魔した時の句です。句会には早すぎて、ソファーから眺めた庭の塀の向こうに隣家の木槿が咲き始めていました。今年も咲き始めているでしょうね、、、。(2015年夏詠)

ご自由にお取りください花梨の実

倉敷阿智神社の社務所、窓口に各種のパンフレットと共に花梨の実が置いてある。その傍に「ご自由にお取りください」の張り紙が。香りに誘われて一つ頂くことにする。出来るだけ形の良いものをと選ぶが、そこは花梨の実、それぞれに自己主張が強い、、、。掲句は昨年、今年はどうかなと先日の句会の折に覗いてみたら、ありました。今年はもう遅いのか二つだけ、、、。(2014年冬詠)

一雨に進む季節や新走

ちょっと(を通り越して)寒くなってきました。新走(あらばしり)は今年酒、新酒のこと、歳時記では秋に分類されています。昔は仕込みが早かったのですね。私はてっきり酒造りは寒い時期の仕事とばかり思っていました。と言うのも、私が子供の頃は田舎のお百姓の男衆の多くが、冬の間は酒造りの出稼ぎに行っていた記憶があるからです、、、。私はのんべえでは有りませんが、のんべえの皆様、お酒の美味しい季節になりましたね、、、。(2013年冬詠)

獣道烏瓜にて行き止る

整備された河川敷公園と吉井川の岸辺との間にさらに茂みがあり、草や木が茂っています。もちろん公園が出来た時にはここもきれいだったのですが、どんどん木や草が大きくなり、今では人間が踏み込むには茂りすぎた状態です。そんな所にある日突然出来た獣道、水辺までちょうどトンネルのような感じで草を分けて続いている。その向こうに水面と、上の木の枝からさがった熟れた烏瓜が見える。たぶんヌートリアの専用道路でしょう、、、。(2014年秋詠)

静けさや帰燕の後の無人駅

ちょっと寄道をして、津山線の無人駅に寄った時の句。夏にも寄った。その時は、どこの駅もそうだが、燕の巣があり、親燕が戻ってくる度に餌をねだる雛たちの声が賑やかだった。掃除をされる方の、何とか燕に出て行ってもらいたいという努力の跡が見られたが、負けてはいられない燕のほうが強かったようで、雛の数×巣の数=声の数で賑わっていた。それが、晩秋に寄ったこの時は、まるで音が無いのだった、、、。(2013年秋詠)

紅葉づるや天使の像にからむ蔦

蔦は四季それぞれに風情があって嫌いではありませんが、自分で育てると不都合な事があります。その一番はくっついた所に根を張ることです。安普請のマイホームの壁に這わせて苦労したことがあります。美観地区のアイビースクエアやエルグレコの喫茶店のように、それがシンボルとなれば話は別ですが、ちょっと壁に蔦をという一時的な興味で手を出すのは止めましょう。掲句はそんな複雑な心で詠んだ句です、、、。(2014年秋詠)