傘とりに戻れば止みて春時雨

まだ濡れるには寒い季節、家を出てまだ百メートルぐらいだったから迷わず傘をとりに戻る。傘を準備して、さてもう一度と家を出れば、もう止んでいて、青空さえ見えかけている。こんなものです。また降るかもと畳んだままの傘を持って歩き始めたが、、、。(2022年春詠)

峡一つ煙らせ春の時雨かな

散歩の途中で遠くに中国山地の山々が見える。それほど天気は悪くないのに、山と山の間が白くなって見える。この気温なら雨、時雨だろう。春だから春時雨か。なんて事を考えながら歩くのです、、、。(2016年春詠)

峡ひとつ隠して春の時雨かな

プールのシャワールームからシャボンが匂い鼻歌が聞こえてくる。もしやと思っていたら、案の定出てきたのはあの山小屋暮らしの仙人だった。ずいぶん見かけないので仙人暮らしを止めて大阪に帰られたか、はたまた山小屋で息絶えておられるのではないか、などと心配していたのだが。「久しぶりですね」「おゥ、こんにちは」「お元気でしたか?」「いやあ、風邪をひいてねえ」「インフルエンザですか?」「いや、ただの風邪なんだが、治らなくてねえ、結局二ヶ月ほど寝とったよ」「二ヶ月ですか!医者へは行かれたんですか?」「ああ、行った行った。医者の話では死ぬ手前だったらしいよ。ワッハッハ」「そうですか、まあ治って良かったですね。お大事に」そう聞いて、改めて見ると、確かに前より一回り細くなって、体系はますます仙人に近くなっていた、、、。(2014年春詠)

小股にて下る急坂春時雨

怪しくなってきたなあ、と思っていたら急に降ってきた。あわてて吟行を切り上げて公園の坂を下る。舗装のない坂道は何となくすべりそうで自然と小股になってしまう。全員同じような足取りで坂道を下った。その足取りばかりが記憶にあって、傘を持っていたかどうか、そこの所が記憶にない。早島公園での句、、、。(2012年春詠)

ひと所明るさ残し春時雨

冬の間は散歩の途中で雲行きが変わろうが、降ってくるのは雪だから全く気にならなかったが、春になるとそうは行かない。しまったと思っている間に、時雨の雲は雨の形を見せながら迫ってくる。それでもよくしたもので、濡れるほどでもなく、明るいままに通り過ぎることが多いのも春時雨。今のうちに、と犬を急かして家路を急ぐ、、、。(2013年春詠)

うたた寝の父のおとろへ春時雨

子どもから見れば、私は強い父だったのだろうか。父親らしい父親だったのだろうかと自問してみることがある。昔、周囲に大人が溢れていた頃、若い父はどこの大人よりも立派に見えたものだった、、、。それも昔、そんな父が余命一ヶ月となり、病院の個室に横たわっている。少し起したベッドで、無防備にうたた寝をしている。こんなことは無かったのに、、、。そんな父の横で、窓を打つ雨を見ている、、、。(2003年春詠)