まだ青き毬ふみ分けて栗拾ふ

さて、公園でしばし休憩のあとは一気に棚田の縁まで上り、棚田を見下ろしながら山道を駐車場まで歩きます。山道には日蔭と日溜りが交互にあります。日蔭に入ると寒さを感じますが、日溜りに咲いた釣船草には虫たちが群れて賑やかです。山からせり出した栗の木からはまだ青い毬が落ちています。たいていは空っぽですが、中には落ちたばかりの毬もあり、艶やかな栗が顔を覗かせていることもあります。両方の靴で毬を踏んで、刺の間から上手に栗を拾うのも、秋の楽しみの一つですね。一先ずこれで棚田吟行は終りです。<その10>(2009年秋詠)

「まだ青き毬ふみ分けて栗拾ふ」への4件のフィードバック

  1. 子供の頃、栗を生のまま食べていたと妻に話すとびっくりされました。
    栗どころかさつまいもだって生でかじった事も有ります。
    少しづづかじると感触は栗に似ているのです。
    今でもその頃を思い出しながら生栗をかじる事が有ります。

    1. 齧っていましたね、薯も栗も。
      でんぷん質の甘さがありました。
      今は栗は面倒で、天津甘栗のほうが好きです、、、。

  2. 53号線を走っていると棚田への標識があり、一度行ってみたいと思ってました。
    一連の句を拝見してあたりの景がとてもよく見え、前に行ったような気になりました。
    植田の時も稔田の時もいいでしょうね。

    1. 是非どうぞ。
      四季それぞれの顔があります。
      棚田の宝庫のようなところで、近くに赤蕎麦を植えた棚田もあります。
      溝蕎麦もきれいですが、こちらも良いですよ。

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