苫田ダムが出来たのは今から十年ほど前になりますが、構想が持ち上がったのは昭和32年とあります。私が津山の住人になったのはまだ反対運動が盛んな頃でしたが、やがて建設が決まり、今のダム湖の周囲を走っている道路の工事が始まりました。川沿いの道を走りながら山の中腹で行われているその工事を見たのですが、今はその出来た道を走りながらダム湖の水面を見ています。その道の途中のかつての村を見渡せる場所には、移設された掲句の碑と関連するいくつかの碑、かつての村をカラーの図にした記念碑があります、、、。(2014年秋詠)
松山から高知へ抜ける国道が通っていた所が今はダムの湖水に沈んでいます。
自分も実際に走った事が有る道でもちろん両側には家々が建っていました。
ダム工事の様子も見ながら何度か走りました。
そういえば、瀬戸大橋が出来上がるのを見ながらフェリーに乗って帰省した事も思い出します。
赤ちゃんだった娘を当時は流行った植物を編んで作られたかごに入れていて『荷物を運ぶような』等と言われたものです。
有りましたね、我が家もその籠でした(笑)。
自分の住んでいるところが無くなるのですから、反対派の人たちも必死でした。
その通りですね。
いくら補償を貰ったって無くなるのですから。
並んで建っている完成後の碑文にその心が表れています。