これも思い出して詠んだ句です。会社の敷地の端っこにプレハブの組合事務所がありました。ちょうどその窓の外にあった柿の木、組合事務所は床が落ちそうな、戸の開け閉めにもテクニックが要るような古びた(おそらく中古の)プレハブでしたが、柿の木はまだ若い木でした。メーデーの頃に窓を開けるとちょうど目の前にある若葉がきれいでした。たぶん誰かが食べた柿の種から育った若木だったのでしょうね、、、。(2022年夏詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
これも思い出して詠んだ句です。会社の敷地の端っこにプレハブの組合事務所がありました。ちょうどその窓の外にあった柿の木、組合事務所は床が落ちそうな、戸の開け閉めにもテクニックが要るような古びた(おそらく中古の)プレハブでしたが、柿の木はまだ若い木でした。メーデーの頃に窓を開けるとちょうど目の前にある若葉がきれいでした。たぶん誰かが食べた柿の種から育った若木だったのでしょうね、、、。(2022年夏詠)
昔、会社再生の名人として有名だった坪内寿夫さん、彼の息のかかった相互銀行な建物は木造二階建て、案内してくれる女子行員が歩いてもギシギシ音がする階段や廊下でした。
牛二さんの会社の組合の建物にも負けないくらいです。
いやいや、壊れかけたプレハブと使い込んだ木造では勝負にならないでしょう。