椎古りて菩薩に零す新樹光

<その7>観音堂から微妙寺へ向かう道は、三井寺の中では最も自然な感じの林の中の小道でした。派手な色彩の毘沙門堂が左手やや上に、若楓に隠れるように建っています。紅葉の頃の美しさが想像できました。右手の大きな椎の木の下には童観音菩薩、少し行くと左手に衆宝観音と、古くはありませんがどちらも比較的大きな石仏です。木々の間から朝の光が降り注ぎ、いかにも気持ちよさそうなお顔をされていました。少し歩くと力餅の売店に出ます。そろそろ休みたい気分でしたが、時間が早すぎたせいでしょうか、閉まっていました。推敲の結果ひとみ案を採用させていただきました。ありがとうございました。(2012年夏詠)

「椎古りて菩薩に零す新樹光」への4件のフィードバック

  1. 新樹光?若葉の緑の間から漏れる木漏れ日かな?などと想像しながらネットを探すとこんなものに出会いました。 http://jinpei.exblog.jp/18016332/  
    若葉そのものの事なんですね。
    誰が言い出した言葉なのか?
    何故?若葉かなではだめなのか?
    難しい世界ですね。

    1. 失礼、季語としては「新樹」ですね。
      これは失敗作の例ということで、、、。
      「新樹光」でも、「若葉かな」でもダメですね。
      句の差し換えを検討します。
      差し換えましたが、やっぱりダメですね。

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