息ついて坂見上ぐれば新樹光

阿智神社の石段はさすがに一気には上れない。坂道を鳥居のところまで上り、足を止めて石段を見上げる。覚悟を決めて上り始めるがどうしても途中で息が切れてくる。足を止めて、後どれくらいと見上げればまだ半分ほど、さらに見上げれば新樹光、励まされるように残りを上る、、、。(2015年春詠)

艶やかに光返して夜の新樹

何より外から帰った時に灯りが欲しい。それに防犯の意味もある。ということで、家の周囲に何箇所もセンサーライトを付けています。通りがかるとパッと明るくなって、離れると暗くなるというやつです。確かに便利なのですが、感度の調整が難しい。風に木の枝が揺れても灯る、野良猫が通ると灯る。で、夜中に突然玄関の外が明るくなったりすると、結構ドキッとするものです、、、。でもこの時季外に出ると、途端に応えるように、闇の中から木々の緑が返してくれる光は、なんとも言えず柔らかく美しい、、、。(2013年夏詠)

椎古りて菩薩に零す新樹光

<その7>観音堂から微妙寺へ向かう道は、三井寺の中では最も自然な感じの林の中の小道でした。派手な色彩の毘沙門堂が左手やや上に、若楓に隠れるように建っています。紅葉の頃の美しさが想像できました。右手の大きな椎の木の下には童観音菩薩、少し行くと左手に衆宝観音と、古くはありませんがどちらも比較的大きな石仏です。木々の間から朝の光が降り注ぎ、いかにも気持ちよさそうなお顔をされていました。少し歩くと力餅の売店に出ます。そろそろ休みたい気分でしたが、時間が早すぎたせいでしょうか、閉まっていました。推敲の結果ひとみ案を採用させていただきました。ありがとうございました。(2012年夏詠)