鳥取県との県境、人形峠での句。トンネルが出来てからというもの、喘ぎながら曲がりくねった坂道を峠まで上ることは無くなった。では道路は荒れているだろうと思っていたが、予想とは全く違った。峠付近にはいまだに原子力関係の施設があるため、道路もよく整備されている。かつて、やっと峠かと一息ついた前面が広いガラスに覆われたドライブインも、今は他の用途で使われているらしく、荒れることなくその佇まいを残している。ただ違うのはかつての賑わいが全く無い事、人影は自分だけ、通る車も無い。道べりのコスモスが時々風にゆれていた、、、。(2016年秋詠)
人形峠の名前は小学校の頃から知っているものの一度も行った事は有りません。
今も原子力関係の施設が残っているのですね、何をしているのでしょう?
今さらながら、どうして人形峠というのかな?
派手な仕事ではないようですね。
由来はいろいろ説があるようですが、どこにでもある伝説のようなもので、正確なところは分からないようです。