帰燕の最終便がいつなのか知らないが、晩秋の燕は、日暮を惜しむように暗くなるまで高いところを舞っている、、、。昔(掲句よりずっと以前、子どもが小さかった頃)、子どもを外人女性の英語教室へ通わせたことがある。町外れの田圃の中の貸事務所を使った夕方からの小さな教室だった。終るまでの時間を駐車場の車の中で潰すときに時々空を眺めた。晩秋にはちょうど夕暮と重なり、暗くなっていく空に点のようになって舞う燕の姿が見えた。燕は見慣れた鳥だったが、暗くなるまで、それも点になるほど高いところを舞う鳥だとは、それまで知らなかった、、、。(2010年秋詠)
燕といえば家の中に巣をつくってピーピー鳴く子燕にせっせと餌を食べさす姿や、天気が悪くなる前兆の低く飛ぶ姿が思い浮かぶけれどそんに高くまで飛ぶとは知りませんでした。
虫を追いかけて行ったのでしょうか?
本当の理由を知らないのにあれこれ書いて叱られそうですが、南へ帰る練習であったほうが詩的、とは思います。