静けさや帰燕の後の無人駅

ちょっと寄道をして、津山線の無人駅に寄った時の句。夏にも寄った。その時は、どこの駅もそうだが、燕の巣があり、親燕が戻ってくる度に餌をねだる雛たちの声が賑やかだった。掃除をされる方の、何とか燕に出て行ってもらいたいという努力の跡が見られたが、負けてはいられない燕のほうが強かったようで、雛の数×巣の数=声の数で賑わっていた。それが、晩秋に寄ったこの時は、まるで音が無いのだった、、、。(2013年秋詠)

高く舞ひやがて帰燕となりゆけり

帰燕の最終便がいつなのか知らないが、晩秋の燕は、日暮を惜しむように暗くなるまで高いところを舞っている、、、。昔(掲句よりずっと以前、子どもが小さかった頃)、子どもを外人女性の英語教室へ通わせたことがある。町外れの田圃の中の貸事務所を使った夕方からの小さな教室だった。終るまでの時間を駐車場の車の中で潰すときに時々空を眺めた。晩秋にはちょうど夕暮と重なり、暗くなっていく空に点のようになって舞う燕の姿が見えた。燕は見慣れた鳥だったが、暗くなるまで、それも点になるほど高いところを舞う鳥だとは、それまで知らなかった、、、。(2010年秋詠)