牛の代わりはトラクターだろう。考えてみればそうなのだが、家の前で丁寧に田植機を洗う姿を見て、なぜか記憶の片隅にある田植の後で牛を慈しむように洗う映像が重なった。ほんとうにかすかな記憶で、私が小学生のころには耕運機があっという間に普及し、田の中に牛を見ることは無くなった。農繁期休暇なんていうのもあったなあ、、、。(2013年夏詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
牛の代わりはトラクターだろう。考えてみればそうなのだが、家の前で丁寧に田植機を洗う姿を見て、なぜか記憶の片隅にある田植の後で牛を慈しむように洗う映像が重なった。ほんとうにかすかな記憶で、私が小学生のころには耕運機があっという間に普及し、田の中に牛を見ることは無くなった。農繁期休暇なんていうのもあったなあ、、、。(2013年夏詠)
子供の頃は近所に2軒牛を飼っている家が有り、寡黙な頑固そうなお爺さんが金属製の道具で黒光りする牛の背中をマッサージされていた事を思い出します。
県北の母の実家でもいつまでだったか飼っていたので飼料の藁を準備したり、糞尿や敷き藁をまとめて堆肥にするために積んだ一画が有りました。
水田を耕す牛の姿もなんとなく思い出します。
母が嫁いできた頃には母屋の玄関脇に牛がいたそうです。
こころが洗われるようないい句ですね。自然の中で育った牛二さんならではの句ですね。
ありがとうございます。
時々原点に戻ります。