初期の作品です。中国道を走っての大阪出張、吹田近くになると見られる大阪モノレールの風景です。そう、千里は大阪の千里です。伊丹発着の飛行機が見えて、モノレールが見えて、万博公園の太陽の塔が見えると吹田出口、「やれやれやっと大阪」と思ったものですが、今となれば出張も懐かしい、、、。(1998年秋詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
初期の作品です。中国道を走っての大阪出張、吹田近くになると見られる大阪モノレールの風景です。そう、千里は大阪の千里です。伊丹発着の飛行機が見えて、モノレールが見えて、万博公園の太陽の塔が見えると吹田出口、「やれやれやっと大阪」と思ったものですが、今となれば出張も懐かしい、、、。(1998年秋詠)
入社1年目からずっと松山勤務が長かった自分が初めて転勤した先が大阪支社でした。
阪急京都線沿線の茨木市に住んだのですが丁度その頃モノレールが空港から南茨木への工事を行っていました。
高速道路は吹田ジャンクションのICを利用したのですが、平日でもいつも混んでいた事を思い出します。
出張・転勤で知らない街へ行けた事は良い経験だったと思います。
子供達にとっては友情の分断が申し訳なかったと思っています。
確かによく混んでいましたね。