久し振りに通ると長い間工事中だった道路が完成していた。山沿いをくねくね走っていた道が、田圃の中を真っすぐに伸び、その道路の脇から空へと虹がかかっていた。暫くはその虹を追いかけるように、、、。(2019年春詠)
月: 2020年3月
春光の猫の眼の一文字
これも似たような句を以前に、、、。思考が堂々巡りをしているみたい、、、。(2019年春詠)
ねつからの優柔不断蜷の道
以前にも同じような句を書いた事がありますが、いまだに相変わらずの優柔不断で、自分でも困ったものだと思っています、、、。(2019年春詠)
広告の多き新聞春炬燵
なかなか炬燵を離れられません、、、。(2019年春詠)
昨日影今日声となり初燕
掲句は昨年、3月13日の日付があります。今年の初燕は3月2日、また早くなってしまいました、、、。(2019年春詠)
水音の別れて会ひて春の川
小川が枝分かれして、少し行くとまた合流している。水音も分かれたり一緒になったり、明るい春の音、、、。(2019年春詠)
灯油缶提げて駐在春時雨
まだまだ雨の日は寒い。ストーブの灯油が切れたのだろうか、制服姿の駐在さんが灯油缶を持って外をウロウロ、、、。(2019年春詠)
桜桃の花の一日蜂まみれ
そろそろ開き始めました。今年は早いようです。掲句は昨年、今年はまだ蜂が、、、。(2019年春詠)
遠く来て霞の中の我が家かな
展望台から、たぶんこの方向に我が家があるはず、と目を凝らす。この川がこう曲がって、あそこに見えるのがあれだから、微かに見えているあれが我が家だろうか?春の霞のせいか、老いて行く視力のせいか、我が家らしい小さな家がぼんやりと、、、。(2019年春詠)
春愁や猫の生涯想ひもし
野良猫の生涯は四、五年のものらしい。とすれば今我が家にいる猫も、すでにその半分ぐらいは消費している事になるのだろう。我が家に来る前は兄弟で河原の茂みの中で暮らしていたようで、野生そのものだった。その一緒に来た兄弟の一匹が亡くなったのが去年の今頃だった。ある日突然庭の木の下で死んでいた。外傷は無かったし来た時からいつも鼻水を出しているような猫だったから病死だったのだろう。せっかく餌に困らない環境を見つけたのに、一年もしない内に亡くなるなんて、、、。(2019年春詠)