七夕の短冊書けば昔日に

歳時記では旧暦の七月七日を七夕として秋の項に入っていますが、今は新暦の七月七日だったり、月遅れの八月七日だったりと様々ですね。3回もあれば織姫彦星の出会いの確立も上がって良いかも知れません。掲句は昨年、「むかし下津井廻船問屋」のイベントにて何十年ぶりかに書かせてもらった七夕の短冊、願いはもちろん、、、。(2018年夏詠)

切目なく銀杏黄葉の降る日かな

銀杏は木によって黄葉にも落葉にもずいぶん差があります。先日誕生寺まで見に行きましたが、法然上人の植えたという大銀杏はまだ沢山の銀杏をつけて落葉が始まったばかり、その傍の若い銀杏は黄葉の盛り、少し離れた大仏の傍の銀杏はすでに落葉を終えていました。同じ寺域にあるのに三者三様、面白いものです、、、。(2017年冬詠)

銀杏散る下に佇む小ささよ

近所にあった廃屋の裏に大きな銀杏の木がありました。この地に住みだした頃にはまだ若木でしたが三十年経って立派な大木になっていました。それが今年は廃屋の解体と一緒に切られてしまって、ちょっと寂しい空になってしまいました、、、。(2017年冬詠)

孤独なる猫の寝てをり文化の日

昨年の夏から今年の正月まで居候していた野良猫、正月が明けるとふらっと出て行ってそれっきり、どこでどうしているのやら、、、。人間につかず離れずの野良猫は昼間はいつも孤独そうに寝ていた。今我が家にはまた新しい野良猫が、、、。(2017年秋詠)

柿熟るる八十八番大師堂

街中の路地を入ると突然立派な佇まいの古い大師堂、八十八番と書いてある。いったい全国にいくつの霊場があるのだろうと思うぐらいに、どこに行っても大師堂に行きあたるが、八十八番に出会ったのは初めてだった。ここが最後かラッキーと思ったが、では一番から八十七番はというと、全く分からない、、、。(2017年秋詠)

本堂の法話漏れ来る暮の秋

某名刹の大きな本堂、聞きたくて聞いたわけではないけれど、外まで漏れて来る法話は一度だけ会話をした事のある小柄で細身の年老いた住職のものだろう、見かけによらず張りのある声。聞いているのは観光客か、時に笑いを誘いながらの住職の名調子は続く、、、。(2017年秋詠)

消防の操法訓練空高し

目新しい吟行地はないかと走っていて行きついた知らない町の少し山に入ったスポーツ施設、一番低いところにグラウンドがあり、それを見下ろす丘の上に体育館やテニスコート、さらにそこから山へとウォーキングコースが続いている。そのウォーキングコースに興味を持ったのだが、作っては見たけれどという良くあるパターン、草ぼうぼうで歩くのもままならない。早々に諦めて後を振り返ると、ちょうど見下ろす位置にあるグラウンドで消防の操法訓練が始まったところ。晴天の秋空の下に並んだ消防自動車、きびきびと動く人影と掛け声、草の中に腰を下ろししばらく眺めていた、、、。(2017年秋詠)