朝まだき猫が爪研ぐ稲架の杭

この辺りで稲架を目にすることは無くなってしまったが、作句した2001年当時は、まだそこここに稲架が見られた。ある時は朝日の光の中に、ある時は朝霧の中に、一段だけの低い稲架が、何列も静かに並んでいる風景が懐かしい。そんな中で、見ればすぐ我家の猫と分かったが、田圃を横切っての朝帰りの途中、その稲架の杭でゆっくりと爪を研ぎだした。何とも満足げな姿に見えた。(2001年秋詠)

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