朝ゴミを出しに行く所がちょうど昔住んでいた家の前で、ゴミを出して帰ろうとするとその佇まいが目に入る。今住んでいるのは独り身の無頓着な方で、玄関脇の八手は奔放に育って二階の窓に届きそうになっている。ちょうど花の季節、木が奔放なら花も奔放、その奔放に咲いたクリーム色の花がさびれた古い家の佇まいとよく合っている、、、。(2000年冬詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
朝ゴミを出しに行く所がちょうど昔住んでいた家の前で、ゴミを出して帰ろうとするとその佇まいが目に入る。今住んでいるのは独り身の無頓着な方で、玄関脇の八手は奔放に育って二階の窓に届きそうになっている。ちょうど花の季節、木が奔放なら花も奔放、その奔放に咲いたクリーム色の花がさびれた古い家の佇まいとよく合っている、、、。(2000年冬詠)
自分が以前住んでいた場所は気になるものですね。
松山時代に二階に下宿していた家は建て替えられてすっかり様子が変わっていて、今は下宿屋をされていない様子でした。
いつまでも同じであるはずは無いのですけどね。