ソーダ水句にしてすでに遅きこと

7月も今日で終り、早いものですね。だんだんと年月の経過が早くなるのは、生きてきた人生の長さと一年の長さとの相対的な関係によるものだと思っていましたが、どうもそうではないらしい。年齢と共に記憶のシャッターを切る回数が減って、出来事を飛び飛びにしか記憶出来なくなるかららしい。ようするに、記憶の枚数が少ないから、だからそれを再生しても、一年なんてあっと言う間に終ってしまう。しかもソーダ水の泡のように、ちっちゃな記憶は消えて行くという、寂しい話、、、。(2011年夏詠)

「ソーダ水句にしてすでに遅きこと」への2件のフィードバック

  1. ちっちゃな記憶が消えるのは仕方ないけど、アルツハイマーの様に大きな記憶まで消える事の無い様祈りましょう。
    家系には惚けた人間は居ないので自分も大丈夫かな?とは思っているもののこればかりはどうなるか分からないので不安も有ります。
    作句は頭を使うから惚けにくいでしょうね。

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