神木の朽ちたる幹に注連飾る

木はいつの時点で神木となるのだろうか。神社の境内や神域に生えればすべてが神木かというと、そうでもない。何かの曰く付きの木は別にして、神社の境内や神域に生えた一般の木は、ある程度(たぶん人間の寿命ほど)年数を経て、見た目が立派になった時点で、何かの拍子で神木になる、、、。「おいおい、余ったからゆうて、注連縄あ勝手に張っちゃあいけんで。また神木が増えとるがな。神木になったらなあ、もう切るわけにゃあいかんからのう、後々まで困るで。」とは近所の長老の言葉、これが何かの拍子の正体らしい、、、。確かに神木を切って事故にあった話はよく聞く。触らぬ神に祟りなしで、とにかく古い注連縄は取り替えて新年を迎えるのが役員の仕事、、、。掲句の大きな神木、老朽化で危険なため近年クレーン車を使って伐採された。もちろん、お祓いをした上で、、、。(2001年冬詠)

「神木の朽ちたる幹に注連飾る」への2件のフィードバック

  1. 樹齢何百年もの神木の根元に穴をあけて薬物を注入して枯らすという手口が四国を中心に何件も行われるとか、枯れた神木の売買を持ちかけた業者が居て疑われている様子。
    金の為なら何をしてもいいという考えか?
    大和民族の魂、誇りなんてものはもはや風前の灯なのでしょうか?嘆かわしい。

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