これは実家から少し山のほうへ行った風景です。昔は見上げるような山の上にも民家があり、棚田が続いていましたが、人が減り、民家も無くなり、かつての棚田もただの湿地になってしまいました。そんな湿地となった棚田の中に、長年の間に自然に出来たのでしょう、細い水路が一本次の田に続き、小さな水音をたてているのでした、、、。<その7>(2009年春詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
これは実家から少し山のほうへ行った風景です。昔は見上げるような山の上にも民家があり、棚田が続いていましたが、人が減り、民家も無くなり、かつての棚田もただの湿地になってしまいました。そんな湿地となった棚田の中に、長年の間に自然に出来たのでしょう、細い水路が一本次の田に続き、小さな水音をたてているのでした、、、。<その7>(2009年春詠)
牛二さんは山紫水明のなかで育ったのだなあとつくづく思います。私の小さい頃は、土筆摘みの小川はきれいでしたが、大方の川は、染色工場から汚水が垂れ流しされて真っ黒でした。大人になってからですよ、高梁川や吉井川があるのを知ったのは。
そうですね、汚染とは無関係でした。河鹿蛙に蛍に蜻蛉に蛇に、、、。水がきれいだからこそです。