上り切る蝉の高さの歩道橋

長い人生の中で日常的に歩道橋を渡る暮しはしたことが無かったのですが、今は岡山の句会へ行く度にやむを得ず歩道橋を渡ります。隣にある公園のポプラの、ちょうど蝉が鳴いている高さになります。歩道橋の中央で、下を走る車の群を見るのも面白いですが、これも長い間見ていると、ちょっと勘違いされそうな気がしますね、、、。(2014年秋詠)

秋暑し大魚の骨を犬が嗅ぎ

河原に釣人が残していった魚、持ち帰らないならどうしてリリースしてやらないのかと、私なんかは思うのです。外来魚でもなさそうだし、、、。まあそれでも、生命の連鎖で、残された魚は鴉や鳶が食べに来ます。残った骨もいずれ無くなるのは狐でも食べに来るのでしょう。運悪くその間に通りがかってしまった時の句、という事です、、、。犬も端から食べる気は無いようですが、食い尽くされて太陽に晒された骨はなんとも魅力的な匂いがするらしく、しきりに嗅いでいます。さしあたり漁師町で売っている一夜干しのようなものでしょうか、、、。(2014年秋詠)

威銃鳴りつつ雀太りつつ

「威銃ゥ、あんな物ぁ怖いこたぁありゃあせんで、ちょっと飛び上がって見せるだけじゃが」「せえでもなあ、ちいたあ効果がねえと、農家の人に気の毒じゃからなあ」とでも言いたげな雀の群が、威銃から少し離れた田圃に群れて姦しい、、、。(2014年秋詠)

行合の空や秋雲控へめに

行合の空なんて洒落た言い方があるものですね。季節が移り変わる中間点の空を行合の空と言いますが、ことにそれらしいのは夏から秋へ移る頃の空ではないでしょうか。まだまだ暑い空には積乱雲が勇姿を見せていますが、その空の端っこのほうで申し訳なさそうに秋の雲が流れて行きます。何となくその間に感じられる区切りが前線でしょうか。やがて立場は逆転して、積乱雲が隅っこのほうに見られるようになるのですが、もう少しですね、、、。(2014年秋詠)

晩夏今顔にシャワーを痛いほど

なんだかんだ言っているうちに今日で夏も終わりです、、、。プールのシャワールームに、開放された屋外プールのほうから、ス~ッと風が入ってくるのがこの頃です。何とも涼しい晩夏を感じる風です。川で泳いでいた子供の頃に、ちょっと遅くなって日暮れが近くなった時に感じていたのと同じ風です、、、。(2014年夏詠)

夕日濃し赤きトマトの透けるほど

ダム湖の展望台で、足元のはるか下に見える湖面を見ながら句作をしていたら、後からお年よりに声をかけられた。「ちょっとお話させてください」「はい」と返事をすると、自分がその近くで生まれ育ったこと、16歳で近くの発電所に就職したらすぐに広島に行かされ、爆心地から1.6kmの所で被爆したこと、その後材木商の仕事をして、このダム建設に携わったこと、いろいろ在ったがここに来て山を見ると生きていて良かったと思うこと、を、一気に話された。最後に「私はもう年寄ですが、見ればあなたはまだお若い。人生はこれからです。しっかりがんばってくださいよ。お邪魔しました」と言い残し、シルバーマークを二つも付けた軽自動車で帰って行かれた、、、。その時はその方が被爆者で、初めて被爆体験を直接お聞きしたことで頭がいっぱいでしたが、後で考えると、これって俳句仲間から時々聞く、例の勘違いだったのかも知れない、、、。今日は原爆忌、七十年の平和をもう一度考えてみたい。黙祷、、、。(2014年夏詠)