遠く来て霞の中の我が家かな

展望台から、たぶんこの方向に我が家があるはず、と目を凝らす。この川がこう曲がって、あそこに見えるのがあれだから、微かに見えているあれが我が家だろうか?春の霞のせいか、老いて行く視力のせいか、我が家らしい小さな家がぼんやりと、、、。(2019年春詠)

春愁や猫の生涯想ひもし

野良猫の生涯は四、五年のものらしい。とすれば今我が家にいる猫も、すでにその半分ぐらいは消費している事になるのだろう。我が家に来る前は兄弟で河原の茂みの中で暮らしていたようで、野生そのものだった。その一緒に来た兄弟の一匹が亡くなったのが去年の今頃だった。ある日突然庭の木の下で死んでいた。外傷は無かったし来た時からいつも鼻水を出しているような猫だったから病死だったのだろう。せっかく餌に困らない環境を見つけたのに、一年もしない内に亡くなるなんて、、、。(2019年春詠)

初雲雀日はうすうすと雲の中

雲雀の句を書いておいて雲雀ではないのですが、今この部屋から電線に沢山の鳥がとまっているのが見えます。雀よりは少し大きくて、頭に飾りのような毛が見えます。あまり見かけない鳥です。烏が来ると飛び立って、またすぐに戻って来ます。北へ帰る小鳥の集団かも知れません、、、。(2019年春詠)

如月や前行く人も犬つれて

二月ももう少し。掲句は昨年、今年は一人になって散歩の時間が変わったせいで、犬を連れた人に遇わなくなった。時々遇うのは「自転車の人」「オッス!のおじさん」「煙草のお姉さん」(いずれも愛称です)、、、。(2019年春詠)

角曲がる度遠足の子等に遇う

昨年の倉敷美観地区での句。観光客も多かったけど子供たちも多かった。次から次に湧いて出るように出くわす子供たちの列。今年はどうだろう?ウイルス騒ぎで少ないかな?早く終息して欲しいものですね、、、。(2019年春詠)