子どもの頃は、それぞれの家から立つ炊事の煙が、さようならの合図のような物でした。それがいつ頃までだったのか記憶に無いのは、たぶん成長して近所で遊ぶことが少なくなった頃と重なるからなのでしょう、、、。掲句、国道429号線を走っていて、遠くの山間に見つけた煙です。ああ、あんなところにも家があるのだ、と、、、。(2011年春詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
子どもの頃は、それぞれの家から立つ炊事の煙が、さようならの合図のような物でした。それがいつ頃までだったのか記憶に無いのは、たぶん成長して近所で遊ぶことが少なくなった頃と重なるからなのでしょう、、、。掲句、国道429号線を走っていて、遠くの山間に見つけた煙です。ああ、あんなところにも家があるのだ、と、、、。(2011年春詠)
高台から下々を見下ろし、煙が上がるのを見て下々の幸せを感じたのはお殿様だったか?そんな話を聞いたのは確か大阪時代だと思います。
プロパンガスが普及してからは火を熾す必要が無くなり楽になりました。
実家では今でもお風呂は薪で沸かしています。
そういえば何年も煙突掃除をした事が有りません。
私の実家は電気温水器なのですが年代物です。
建物も含めて、次をどうするか、これも頭の痛いことの一つです。