長いサラリーマン生活のほとんどを、同じ時刻に同じ道を通り、同じ路地を抜けて会社に通った。長い年月の間には、畦道が立派なアスファルトの直線道路になり、やがて周辺が宅地へと変わって行った。新しい家が建ち、新しい人々の営みが始まった、、、。よくよく考えてみると、徒歩20分の通勤路で、ほとんどの道が変わって行った。唯一変わらなかったのがこの路地だったように思う。もちろん、住んでいる人は歳をとり、子どもたちは巣立って行ったが、、、。(2001年秋詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
長いサラリーマン生活のほとんどを、同じ時刻に同じ道を通り、同じ路地を抜けて会社に通った。長い年月の間には、畦道が立派なアスファルトの直線道路になり、やがて周辺が宅地へと変わって行った。新しい家が建ち、新しい人々の営みが始まった、、、。よくよく考えてみると、徒歩20分の通勤路で、ほとんどの道が変わって行った。唯一変わらなかったのがこの路地だったように思う。もちろん、住んでいる人は歳をとり、子どもたちは巣立って行ったが、、、。(2001年秋詠)
牛二さんの文章や句には、人や自然へ注がれる眼差しのあたたかさを感じます。
長い年月によって変わりゆく佇まい、便利になり嬉しい反面、寂しさもありますね。
俳句では新涼の季節ですが、厳しい残暑が続きますね。
9日10日ともなるとお寺さんが棚経に回って来られます。
ご近所で若い人を失った悲しみもそこそこに、
明日は急いでお寺さんをお迎えする為の準備に入らなければなりません。
ありがとうございます。