修行僧夢見し跡の枯野かな

美咲町の本山寺での句です。本山寺は平安末期に天台密教の山岳道場として創建され、当時は120を超える僧坊があったそうです。多くの修行僧がいたのでしょう、本堂に座って三重塔を眺めながら、当時に思いを馳せていると突然修行僧が現れて来そうな、そうな気さえして来るのです、、、。(2013年冬詠)

「修行僧夢見し跡の枯野かな」への1件のフィードバック

  1. 岡山の実家のお寺さんは西の坊と呼ばれている、正式なお寺の名前も有るのだろうけれど子供の頃から西の坊としか呼んでないので正式な名前は知りません。
    西の坊というからには昔は東の坊等も有ったそうで一帯が大きなお寺だったそうです。
    それこそ沢山のお坊さんが将来を夢見ていた事でしょう。

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