石臼の飛石六つ秋時雨

大原美術館の本館と分館の間にある新渓園、美観地区側にある小さな門を入ったところに粉挽き用の石臼を使った飛石がある。門に合わせて小振りの石臼を六個並べてある。表面の磨り減ったふくみ(隙間)の線が雨に濡れている、、、。さて、いよいよ今夜(と言うか明日の朝)にはラグビーワールドカップ日本アメリカ戦がある。どうかもう一度良い夢を、とOLDファンは願うのみです。もう十分に見させてもらってはいるのですがね、、、。(2014年秋詠)

コスモスを荷紐でくくり停留所

田舎の停留所は造りもしっかりしている。雨風もしのげるし、座布団まで敷いてあったりする。掃除も行き届き、周囲には四季折々の花が見られる。コスモスは弱いようで強いようで、やっぱり弱いような花。大きくなる割に根が張らず、雨風で倒れることが多い。大きくなりすぎた停留所の周囲のコスモスが、まとめて白い荷紐で補強してあった。白い紐がコスモスにはよく合う。コスモスは雑草なんだと思った、、、。(2014年秋詠)

かまきりの卵赤子のふぐりほど

去年見つけた玄関脇の柱のカマキリの巨大卵、そのままにしておいたら、偶然夏に孵るところに出会った。ほんの数ミリ程度の緑の子カマキリが多量に発生して柱を降りてきた。親となって赤子のふぐり程もあるような卵を産む頃と違って、小さくて実に可愛いが、それぞれ一人前に鎌を持っているのが面白い。子カマキリはその日のうちに玄関から居なくなったが、あの中の何匹が成長して卵を産むほどに育ったのだろうか、、、。(2014年秋詠)

大鯉の浮かびては呑む秋日かな

倉敷美観地区の大鯉、川の大鯉だとこうは行かない。浅瀬に身を並べ水中の藻などをつついているが、人影を察知するとスルスルと素早く沖へ移動して行く。その代わり川の大鯉は時たま見事なジャンプを見せてくれる。空中の虫でも捕ろうとするのだろう、失敗して連続三回ジャンプなんてこともある。美観地区の大鯉が跳ねるのは見たことがない、、、。(2014年秋詠)

刈田行く足の短き日本猫

昔は猫だって足が短かった。それは仕方ないだろう、昔の猫はご飯に味噌汁、運がよければ煮干ぐらいの餌で生活していたのだから。今は野良猫だってキャットフードや缶詰と言った良い物を貰って食べている。魚は食べないとか、煮干の頭だけ残す野良猫なんてのも居るようだ。おまけに外来種との混血が進んだからだろう、足も長くなった。シャムネコ風、アメリカンショートヘア風なんて野良猫が闊歩している。刈田の株の間を短い足を精一杯上げて、一歩ずつ越えてくる三毛猫なんて、滅多に見られるものではない、、、。(2014年秋詠)

ほつれより夕日零るる秋簾

二階に西向きの窓があり、年中簾を垂らしている。そろそろ日差が強くなる春先に取り替えると、たいていは次の春先まで持つが、さすがに何度も台風に曝されてこの季節になると傷みが目に付くようになってくる。築三十年、いろいろな簾を使ってみたが、結局持ちに値段による差はほとんど無く、品物の当たり外れによる差のほうが大きいように思う、、、。(2014年秋詠)

籾殻を焼いて三夜のうす煙

昨年は長い間籾殻のまま田圃に積まれていたが、今年はもう火が入っている。その様子はちょうどいくつもの山が連なり、その中央に煙を吐く阿蘇山がある九州を模型にしたようだと毎年思う。火が入った最初の日はその火口部分から煙が上がり、その周囲から次第に黒く炭化していく。すべて焼けるまでには一週間ぐらいはかかり、その頃には最初の火口あたりは白く灰となっている。その白から黒へ変り、裾野にまだ焼けていない籾殻がある景色は、さしずめ春先の山焼きが終わったばかりの草千里と言ったところ、、、。(2014年秋詠)

露座売の一人本読む秋の昼

平日の午前中ともなると、美観地区と言えども人通りはそう多くは無い。店は広げたものの、立ち止まる人の無いアクセサリー売りの露店、若い店主店は文庫本を広げて読みふけっていた。ここにも読書の秋、、、。(2014年秋詠)

柿一つ落ちて夜来の風の跡

昨年の台風一過の朝の景、どの台風だったかまでは記憶に無いが、落ちた柿が一つだったのは、風が弱かったのでは無く、生っている柿が少なかったから。何となくホッとした記憶がある。今年は台風も多く、落ちた柿も多かったが、もとから多く生っていたので残っている柿はいまだに多い。多すぎて個々の大きさが小さい。まだ食べるまで熟れていないが、きっと味はもう一つだろうと思う。大失敗、、、。(2014年秋詠)