旧正の餅と届きぬ父の文

気が付けば今日は旧暦の元旦、歳時記では旧正月は春に分類されているが、今年のように冬の間に来ることもある。掲句も句稿によれば冬に記録しているので早かったのだろう。あるいは俳句初心者の頃で、そこまで気が回らなかったのかも知れないが、、、。実家は田舎の古い家だったから、子どもの頃から正月は新旧の二回祝った。そんな訳で家を出て所帯を持った後も、旧正月前には実家から餅が届いた。実家ではそんな事はすべて父の仕事だったので、いつも父の手になる何がしかの手紙が添えられていた。この頃からだったろうか、父が修正液を使い始めたのは、、、。(1997年冬詠)

見上げれば冬の空ある会議室

工業団地の一角にある勤務先から道を隔てた用地は、入る会社が無くてずいぶん長い間空地のままだった。そちらに面した会議室からは遠くまで見渡せ、四季折々の空が眺められた。会議も丁々発止と議論を戦わすような会議は面白いが、窓を背に陣取った気に食わない上司の一方的な話を聞くだけのような会議も多かった。そういう会議の時は、聴いているような顔をして上司のほうを見つつ、退屈すると視線を少しだけ上げる。するとそこには四季折々の空があるのだった、、、。やがてこの空地にも会社が入り、出来たのは鉄工所で、平屋だがとてつもなく屋根が高い建物だった。おかげで会議室からの眺めは完全に遮られ、私の密かな楽しみは奪われてしまった、、、。(1997年冬詠)