避暑避寒縁なき暮し春炬燵

結局のところ、炬燵ほど便利で経済的な暖房器具は無いのではないだろうか、と都合の良い事を考えながら冬の間を炬燵の中で過ごした。もとより避暑避寒に縁がないのは経済的要因によるところが大きいのだが。もうしばらくはお世話にならなければならない、、、。(2016年春詠)

誰がために鐘は鳴りけり葱の花

あっちの畑でもこっちの畑でも、葱坊主が見事に育っています。掲句、そんな畑を見ながら歩いていると、寺のほうからゴ~ンと鐘が一つ、、、ついこんな句にしてしまいましたが、葱の花は春の季語でした、、、。(2015年夏詠)

行春の風になごりの寒さかな

例年ゴールデンウィークまでは暖房器具は仕舞わないようしています。今年も寒かったですね、連休初日までは。晩霜の注意報まで出て、農家の方は霜対策が忙しかったようでした。なんて事を書いていたら昨日はいきなり夏の暑さが、、、。掲句は昨年、同じ昨年の俳句帖に<ここに来て暑さ極まる暮の春>なんて句も残していますから、結局毎年似たようなものなのでしょうね、、、。(2015年春詠)

竹秋の野壺ぽつんと屋敷跡

ここに住みだした頃には既に屋敷は無く、周囲より一段高く積まれた石垣の内側は畑になっていた。屋敷の裏側(と思える方向)には竹薮があり、柿やら梅やらが植えてある。もともとの屋敷の便所の跡なのだろうか、大きな野壺が口を開けている。申し訳程度に腐れかけた板で蓋がしてあるが、もう少し草が伸びると所在が分からなくなりそう。もっとも昔と違い、野壺に肥やしが溜めてあるような事はないので、はまっても被害は知れている、、、。(2015年春詠)