水平に空の一枚大代田

田植が始まりました。水の入った広い田圃に朝の光が反射して、上にも下にも空があるようです。時々私の実家の狭い風景と比較してみるのですが、実家の隣に田圃が一枚あって、その次に川があって、また一枚田圃があって、その次に隣家があります。たぶんそれだけの風景が、この一枚の田圃に収まるだろうと、、、。(2016年夏詠)

少年の自画像青し夏来る

機会が少ないので何かしら見つけては入ってみる絵画展。外の暑さから逃れられるのもその目的の一つだから、内容の良し悪しはあまり気にしない。いつもの通りサラリと流していると、この自画像の前で足が止まった。作者の年齢は書かれていないが、描かれている顔は高校生ぐらい、基調となっている沈んだ青の色が、ある時期の青春そのものという感じがして、良い画だと思った、、、。(2016年夏詠)

草の中草をゆらして蛇静か

風のない午後の草原の、一所だけ草が揺れている。音もせずその揺れが少しずつ近づいて来る。何んとも不気味だが、正体は分かっている。普通の蛇、出会うとお互いにビックリするだけで、向こうがそそくさと逃げて行く。逃げない蛇は怖い、、、。(2016年夏詠)

薔薇ちりぬ白き陶磁器割りしごと

まだ明かりを点していない朝のテーブルの上に散らばる真っ白な破片のかたまり、まだ十分に目覚めていない頭では一瞬何が起こっているのか理解出来なかった。落ち着いて周囲を見ると昨夜までその傍のグラスに挿してあった白いバラが消えていた、、、。(2016年夏詠)

雨戸繰るそこに輝く蜘蛛の糸

掲句のように開けた雨戸のむこうなら良いのですが、無防備に出た朝の庭でいきなり顔を覆い来る蜘蛛の巣、いやですねえ。また一年が過ぎてそんな夏がやってきました。いきなり捕虫網で掬われる蝉や蜻蛉の気持も分からないでもないなあと、、、。(2016年夏詠)

大楠の洞をねぐらに青葉木菟

そろそろアオバズクの声が聞こえる頃ですが、なぜかこの頃になると近所の神社のほうからフクロウの声が聞こえるのです。毎年のことです。フクロウもアオバズクも同じ仲間ですが、俳句ではフクロウは冬、アオバズクは夏の季語になります。そこで俳句にするときは青葉木菟で詠んだりしますが、鳴き声は明らかに梟です。見た目も似ていますが青葉木菟のほうが小型です、、、。(2016年夏詠)