私の生家は庭まで蛍が飛んで来るようなところにあったが、中学生の頃に異常に蛍の多い年があり、無数の蛍が川の形の光の帯となって川を上り下りする、夢のような光景を見たことがある。すでに投稿少年だった私はそのことを文章に書いて、中学生文芸という雑誌に投稿した。さらにその文章を読んだ国語の先生から県の作文コンクールに出せと言われて、また書き直した記憶がある。だから、光景は現実で、夢ではなかったはずなのだが、最近では自分でもわからなくなってきた。二度と見ることは無いであろうし、夢の中の光景であっても構わない、蛍の川。句とは関係ない蛍の想い出でした。(2002年夏詠)
子供の頃は家の裏庭まで蛍が飛んできたものです。蚊帳の中に離してみたりした事も有りました。高等学校の運動場の上を飛ぶ沢山の蛍を見た事も記憶しています。
最近はまた少し増えて来たのでしょうか?
蛍の川を見た記憶は大切な思い出でしょう、中学時代から投稿少年だったとは知りませんでした。書き直した作文の結果はどうでしたか?
賞状を貰った記憶はありますが、佳作だったか、入選だったか、、、。
俳句を詠むようになるまで蛍とは無縁でした。十年くらい前でしたか、人の噂をたよりに近くの小川へ行くと、川の形に蛍火が見え、その蛍の川が呼吸をするように点滅していたので息を呑みました。可愛い子どもの声がしました。「お星様が降りてきているよ」
その後も毎年行きましたが、あれほどの蛍は見ることができません。私にとっても、幻のような一夜でした。
そうです、その幻想的な蛍です。
その子の記憶にずっとお星様が残ってくれるといいですね。
皆さんの蛍の川とはすばらしい思い出ですね。
私には蛍の思い出はありませんが、似たような夢とも現ともわからなくなった思い出があります。
夜汽車で祖父の里に着いて、早朝田舎路を歩いて行くと路には露に濡れた彼岸花が散らかっていた。夜になって親戚が集まって宴会をやっている。抜け出して家に近くの細い用水を見ると
湯気を濛々と吐き出しながら流れている。流れは大根の葉が流れるほど早いし、手を入れると冷たい。なぜ湯気が出るのに冷たいのか?訳が分らないまま、あれは夢だったのかと思いだすのです。それに長じてから母にその話をすると、母は、おじいさんの里に行ったのは彼岸花の頃ではなかったと言うので一層分らなくなりました。夜汽車に乗ったせいだったのかもしれません。
これはまた不思議なことですね。
ええ、そうです。
なにしろ、ひらかなが読め始めた頃のことでしたので・・・・。
各駅停車が停るごとにひらかなの駅名を音読して二人旅の祖父に告げたのははっきり覚えています。宇野線の茶屋町は「ちややまち」と読んだのを覚えています。
宇高連絡線に乗換え、翌朝、西伊予へ着くまでの記憶はありません。
初めて見る彼岸花の乱舞は間違いなく鮮烈な記憶なのです。
私は時々、子どもたちに心に残るような思い出を作ってやれたのだろうか、と考えることがあります。
知らないうちに、このような記憶を残してやれていれば良いのですが、、、。