掲句、出張で中国自動車道を岡山県から兵庫県へと越える県境のトンネルでの句です。昔、幻の国道と言われた180号線の県境を、自転車で越えたことがあります。地図には書かれているのに峠のふもとで道が消え、後は自転車を押しての、夕立と雷鳴の中を草を掻き分けての峠越えでした。旅に出た初日のひどい話ですが、今となっては青春の懐かしい思い出です、、、。今はどうなっているのだろうとネットで見ると、迂回路と明地トンネルという立派なトンネルが出来ているようでした、、、。(2001年春詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
掲句、出張で中国自動車道を岡山県から兵庫県へと越える県境のトンネルでの句です。昔、幻の国道と言われた180号線の県境を、自転車で越えたことがあります。地図には書かれているのに峠のふもとで道が消え、後は自転車を押しての、夕立と雷鳴の中を草を掻き分けての峠越えでした。旅に出た初日のひどい話ですが、今となっては青春の懐かしい思い出です、、、。今はどうなっているのだろうとネットで見ると、迂回路と明地トンネルという立派なトンネルが出来ているようでした、、、。(2001年春詠)
九州旅行から帰って来ました。
初日は車で約400kmの移動、自転車に比べると何倍もの走行距離です。
青春時代の自転車旅行はいろいろな思い出が有るでしょう。
私も一度松山から実家まで自転車で帰った事が有りました。
幸い雨は降らなかったですが峠越えの登り坂と、岡山平野のいつまでも続く向かい風が辛かった事を思い出します。
お疲れ様でした。
そうですね、向かい風は難敵でしたね。
今では歩いていても難敵です(笑)。