園丁の咥へ煙草や菊日和

前のお宅で菊を育てておられる。軒下に何鉢もならべて、水遣りや手入れをされている。今年はスタートが少し遅かったようで、まだ大輪とまではいっていない、、、。それを見てこの句を思い出したが、どこで詠んだのかを思い出さない、、、。記憶に無くて良かったのかも知れない。時代は変わるのです。名のある名園で、園丁が咥え煙草で仕事をする、なんてことは在り得ないだろうから、、、。(2001年秋詠)

裏藪の小さき日だまり真弓の実

借家住まいをしていた頃、大家さんのところに行くと「真弓の木を貰って植えたんだけど、何年たっても実がならないの。抜こうと思うんだけど要る?もしかしたらもう少し大きくなれば実がなるかも知れないわよ」「はい」ということで我家に来た真弓は引越してからも持ってきて庭に植えたが、結局何年たってもならなかった、、、。掲句の真弓は、作句の年に裏の土手の竹薮で見つけた自生の真弓、木は小さいけれど、秋の日溜の中で赤い実がきれいだった、、、。(2002年秋詠)

柿もげば柿の冷たさ手の中に

子どもの頃にはよく柿採りをさせられた。学校から帰って姉と行くことが多かった。下から竹竿の先に割れ目をいれたもので採ったり、木に登ったりして採るのだが、木に登ると晩秋のこの頃は空気も冷たく、十分に冷えた柿は掌を冷やした、、、。今思えば、どうしてあんなに沢山の吊るし柿を作っていたのだろう?毎年窓という窓を塞いでしまうほどの吊るし柿を作っていた。それをきっちり消費していたのだから、、、。(1999年秋詠)

川舟の岸に干されて秋夕日

母の実家は吉備郡(現総社市)の草田というところだった。伯備線の日羽という無人駅(昔から無人駅だった)で降りて、渡し舟で高梁川を渡った。対岸に船頭さんのいる小屋があり、合図をして日羽側に来てもらっていたはずだが、どうやって合図をしたのか、記憶が定かでない。小さな舟にしゃがみこんで、舟縁を打つ波音を聞きながら、するすると川を渡って行く。舟の周囲には魚の群が見える。わずかな時間だったが、子どもにはスリリングな時間だった、、、。掲句の川舟は国道53号線を走っている時に見た旭川の川舟、、、。(1999年秋詠)

縄電車さくら紅葉を両側に

我家の子どもたちが小学校に通っていた頃も、町内の子どもの数は少なかった。以後、減少するばかり。滅多に子どもを見ることがない、、、。掲句、散歩の途中の桜並木の土手で、久しぶりに見た縄電車、乗客の数は少なかったが、、、。(2002年秋詠)

それ以上来るなと鵙が頭上より

今年はいつまでも暑く、秋が来るのが遅かった。それなのに、九月に入るともう河原の木には、蛙や虫たちが刺さっていた。それも日毎に数が増えて行く。いわゆる鵙の早贄。早贄だから早くても良いのかと、いいかげんな事を考えていたが、昨日通るとすっかり無くなっていた。人間が悪戯に取ることも無いだろうから、きっと鵙が食べたのだろう。鵙は贄を作って、そのまま忘れてしまうものと思っていたが、これは新しい発見、、、。一説には、雪国では鵙の作る贄の位置でその年の雪の深さが分かると言うから、間違いに気付いた鵙が、もう一度やり直そうとしているのかも知れない。今年の冬は寒いそうです、、、。(2010年秋詠)

鉄工所夜業の窓にアークの火

夏の間は、窓も大戸も開け放って、作業する姿が見えていた鉄工所も、秋が深まるにつれて窓も大戸も閉じられてくる。夜、残業を終えての帰宅途中に傍を通ると、閉じられた窓硝子のむこうに、溶接の青い火と飛び散る火の粉が煌めくのが見える。しばらく強く煌めいたかと思うと弱まり、また強くなる。その煌めきに合わせて、溶接の音が強くなり弱くなり、低く聞こえる、、、。(2001年秋詠)

閂で閉ざす社や銀杏散る

近所にある小さな神社、鬱蒼とした森の中の神社の周囲にだけ日差が降ってくるような所である。もちろん普段は宮司も居らず、お参りする人もほとんどいない。掃除も年に何度かの行事の時に行われるのみである。そんな神社なので、境内に点在する数本の銀杏の落葉が、境内やら社殿の屋根を覆いつくしてしまう。神秘的な光景がもうすぐ、、、。(2001年秋詠)