大銀杏五月の空を抱へけり

庭瀬吟行での句、公園の大きな銀杏の木を下から見上げると、若葉で覆われた枝が、まるで下から空を抱えているかのように見えました。空は晴れ、薫風吹き渡る、まさに五月の一日でした。あの空が懐かしい、そんな昨日今日の梅雨らしい日々です、、、。(2011年夏詠)

衣脱ぎしばかりの蛇か濡れてゐし

毎度おなじみの蛇です。散歩コースで会うので、ついつい観察してしまいます。動きも遅かったので、おそらく脱皮の後だったのでしょう、触ったわけではありませんが身体は艶々と濡れたように見えました。カラス蛇と言うのでしょうか、黒色の中くらいの蛇でした、、、。余談です。ガラガラヘビが尾を振って人を威嚇するシーンはテレビでよく見ますが、その辺にいる蛇も尾を振って音を出すことがあります。もちろん威嚇と思われますが、じっくりと観察しようとすると、先に自分から逃げてしまいます、、、。(2011年夏詠)

こわごわと渡る線路や姫女菀

無人駅の表側には寂しいが古い町並が続いている。裏側を見ると、線路際には夏草が茂っているが、その向うは新興の住宅地らしく、形も色もさまざまな家が賑やかに並んでいる。目的の寺にはその住宅地を抜けて行くとすぐなのだが、さて、道が見当たらない。これだけ家があるのだから通勤客もあるだろう。どこかに道が、とよくよく見ると、ちょうどプラットフォームの外れの向うあたりにフェンスの切れ目があり、明らかに日々人が通っている形跡があった、、、。(2010年夏詠)

職人の早々あがる梅雨入かな

油断していたら梅雨に入ってしまいました。急遽昨年の梅雨入の句を、、、。庭にカーポートを作ろうと思いお願いした工事の最初の日が、ちょうど梅雨入の日になりました。朝から泣き出しそうな空模様で、すでに広島あたりは降っているらしい。職人さんは打ち合わせをしながら携帯で天気予報をチェックすると、「まあこの分だとあと二三時間でしょう。中途半端になりますから、今日は段取りだけで、天気になったら明日から本格的に入りますから」、ということで、さっさと引き上げてしまった、、、。(2012年夏詠)

身体より影の濃かりし目高の子

川を泳ぐ魚の小さな子どもが目高だと思っていた。鮒も鮠も見分けがつくようになるまでは目高なんだと思っていた。目高が目高という種類の魚で、さらに目高にも何種類もあるなんてことを知ったのは大人になってからだった。それはさて置き、水路を泳ぐ目高の子を見ると、身体は、これも保護色なのだろう、水に近い色をしているが、日を受けて出来た水路の底の影は一人前に黒かった、、、。(2010年夏詠)

立葵どれも多少は傾きし

一度植えられると何年でも同じところに芽を出して花をつける。しだいに数も増えていく。つくづく生命力が強いなあと感じる。徒歩通勤のちょうど中間あたり、道路とカーブして流れる水路の間の、取り残されたような土の部分に、柿の木と棗の木、そして植えられたものか捨てられたものか、毎年育ち、沢山の花をつける立葵があった、、、。(2009年夏詠)

水底の足跡深し余り苗

田植が終り水の濁りが治まった田圃の、水口のあたりに植えてある補修用の余り苗、やがてその用途が終ると捨てられるのでしょうが、ひとかたまりで風に吹かれている様は健気ですね、、、。田植が終ったばかりの田の脇の舗装路に、くっきりと裸足の足跡が残っていたことがありました。一目で女性と分かる可愛い小さな足跡でしたが、いつも逞しく働いておられるその人を知っているだけに、妙にくすぐったい気持ちになったものでした、、、。(2012年夏詠)

溝浚へペットボトルのお茶もらふ

現代風に言うと溝掃除、五月に各戸一人ずつ出て行う貴重な町内の行事になってしまった。溝掃除とは言うものの、今では水路もコンクリート製になり、ほとんど作業はない。休んだり話したりしながら、多少水路の水をかき混ぜたり、草を浚えたりしながら一時を過ごす。終ればペットボトルのお茶が配られるぐらいで、かつてのように昼間からビールなどという事もなくなった、、、。「渡辺さん、あんたどおしょおるんなら、家に居るんか?」「ええ、まあ」「退屈なろうが」「いえ、それが、まんざら悪うもないなあと、」(クスッと誰かが笑った)「そうか、家にじっとしとってもろくな事にゃあならんで。たまにゃあ話しいおいでえや」「はい、ありがとうございます」とは言ったものの、行けば行ったでまたとんでもない役を押し付けられそうで、、、。(2013年夏詠)

杜若木洩れ日のゆれ風のゆれ

昨年書いた作楽神社の杜若が今年は全滅状態だった。多くは語られなかったが、毎年世話をされ株を増やされてきたOさんの、その悔しそうな顔つきからおおよその想像はできた。あれだけの株が一度に枯れてしまう原因は、一つをおいて他にはあるまい。見に来られた方へお茶の接待をされるテントには、見事に咲いた昨年の写真と一緒にお詫びの言葉が添えられていた。掲句、残った株を洗って植え替えたという池の縁の二株、木洩れ日が揺れる中でひっそりと咲いていた。「見られました?きれいだったでしょう」、Oさんの先ほどとは違う笑顔が印象的だった。私もこれはこれで俳人の心をくすぐるには十分な二株だと思った。また一から始められるのだろう、昨年の状態に戻るのに何年かかるのだろう、、、。(2013年夏詠)

青梅や猫にもありし氏素性

野良猫が居つくのにも何かの縁があるのでしょう、我家は目下空家状態です。しばらくアメリカンショートヘア風の愛想の良い猫が来て餌をねだっていたのですが、これは近所の飼猫と分かった頃から来なくなりました。次は深緑色のビロードのような毛並の子猫、これもどこかの名のある猫のご落胤風。用心深くて決して触らせない、餌は貰っても尻尾は振らないよと言った野良の気品漂う猫でしたが、ある夜喧嘩の声がして次の日から居なくなりました。それから時々眼にするようになったのが茶色の大きな猫、どうやらこれが新しく就任したボスで、見回りには来るが餌を貰おうという気はないようです。ということで、空家となっています、、、。(2011年夏詠)