くつきりと雲の影行く大夏野

これは蒜山高原へ行った時の句です。少し高い位置から眺めた夏野を雲の影が動いて行きます。高原の雲は低く、自分の位置からさほど高くない位置を流れて行きます。その分影が濃いのでしょうか、影を引きつれてゆっくりと流れて行きます、、、。(2000年夏詠)

汐入の川に夕風雪加鳴く

岡山の中央公民館での句会は雪加の声でしばし中断した。私が雪加の声を聞いたのはそれが最初だった。窓の外のどこからか続くヒッツ、ヒッツ、ヒッツ、ヒッツと聞こえる声のリズムは、私にはまるで機械仕掛けか何かのように感じられた。句会が終り、外に出たのはもう夕方だった。公民館から後楽園の駐車場まで旭川沿いを皆さんと歩いた。歩いていく途中、内田百閒の公園があるあたりに、筒状の鳥の巣が落ちていた。大きめのコップといった形は、人工的に作ったようなきちんとしたものだった。急いでいたし、あえて足を止めることもしなかったが、家に帰ってネットで雪加を調べていると、今日見たのと同じ筒状の巣が載っていた、、、。(2009年夏詠)

一手打ち一手待つ間の遠花火

ずいぶん昔、会社の先輩Nさんと四国の工場へ、オーディオ機器の開発応援に行ったことがある。会社の使われなくなった古い寮を事務の女性が住める程度まで掃除してくれ、しばらくNさんと二人で生活した。Nさんは東京への長期出張の間に将棋会館に通ったというほどの将棋好きで、とても私が勝てるような相手ではなかった。それでもNさんは、その部屋に残されていた将棋盤を見つけると、足りない駒を紙切れで作り、いやだと言う私に毎晩相手をさせた。ある晩将棋盤を囲んでいると遠くで音がして、割れて一枚だけ透明になったガラス窓の、ちょうどそのガラス一枚に収まるほどの小ささで遠くの花火が見えたことがあった。きれいだった、、、。(2012年夏詠)

飼主も犬も摺足油照

こんな暑い時に散歩に行かなくても、と思ったがねだられて出てしまった。後悔先に立たず、真昼の日差しと焼けたアスファルトからの照り返しで、頭も朦朧としてくる。もともとしっかりと足を上げて歩くほうではないが、こんな日はついつい摺足になって躓きそうになってしまう。犬は飼主に似ると言うが、他人から見ると愛犬「もみじ」もご多分に漏れず私にソックリなのだそうだ。なので、時々摺足になって躓きそうになる。「しまった、おねだりするのではなかった」と、その時はたぶん思うだろうが、翌日には同じようにねだってくる、、、。(2011年夏詠)

夏草を広げ大きな猫寝まる

ほど良い木陰の夏草を押し広げたようにした真中で、大きな猫が眠っていた。私や犬が通ろうが我関せずの眠りっぷりはボス猫と見た。ボス猫の命は短い。日々縄張りの見回りをし、さらに縄張りを広げるべく遠出をする。遠出をすれば国道も渡らなければならない。必然的に危険が増すのである。まあ、そればかりではあるまいが、早ければ数ヶ月で交代となる。掲句の猫、いつまでボスでいたかの記憶は無い、、、。(2003年夏詠)

蝉鳴いていよいよ暗し杉木立

今年の初蝉は七月六日でした。いつもの散歩道の桜並木の土手です。もう梅雨が明けますね、というのが毎年この土手で聞く蝉の声ですが、その通り七月八日に梅雨が明けました。掲句の杉木立は別の場所ですが、土手の桜並木もこの時季は結構暗いです、、、。(2003年夏詠)

峰雲や父の手になる塩むすび

私は一人暮らしもしたし、料理、洗濯は苦もなく出来るが、父は全くやった事のない人だった。そんな父が家事を始めたのがこの年だった。もちろん理由があっての事で、以前から身体の具合が悪かった母が、とうとう無理が出来なくなったからだった。父は元々器用な人だったので、おむすびも多少大きいぐらいで、立派なものだった。母は、「味噌汁も作ってくれるんじゃがなあ、今までしたことがねえから、野菜を食べれんほど大きゅう切るんじゃ、・・・」と文句を言いながらも嬉しそうだった、、、。思えば長年尽してくれた母への、父の最初で最後の女房孝行だったようで、父が亡くなったのは翌年だった、、、。(2002年夏詠)