飛行音やめば鳥声山眠る

実家での句です。山の間の狭い所ですから上空を飛ぶ飛行機の音も響いて大きく聞こえます。それが過ぎるとまた鳥の声が賑やかに響いてきます。全く動じないのが周囲の山々、あと一か月ほど、春までもうひと眠りです、、、。(2016年冬詠)

寒林に隙間朝日の透りくる

木山神社での句です。初祓を待つ社務所の温かい部屋から、裏山の雪の残る杉林が見えます。鬱蒼と茂っているのですが、その中にも隙間があるのでしょう、一所だけ明るく朝日の差している場所がありました、、、。(2016年冬詠)

寺に鐘社に太鼓年送る

夜には近所の神社からは太鼓の音が、少し離れた寺からは鐘の音が聞こえてきます。その音を聞きながら、また一年が過ぎてしまったと反省するのです。皆さまはどんな一年だったでしょうか。私は良い事も悪い事もあった一年でした。まあ悪いと言っても、年末になってお風呂のボイラーが壊れ、四五日お湯の無い生活を体験したぐらいの事ですがね。それでは良いお年を、、、。(2016年冬詠)

一群に一羽見張の鴨の声

煤逃げの散歩に行くと穏やかな日差しの師走の広い川面にいくつもの鴨の群があります。隅っこのほうには浮寝のグループが静かに浮いていますし、賑やかに遊んでいたり、羽の手入れをしていたりするグループがあります。観察すると、ところどころに見張役の鴨がいて、一定間隔で声を出しています。その声の調子が近づいて行くと次第に強くなるのです。離れて行くとまたのんびりとした調子に戻って行きます。なるほどなあと思うのです、、、。(2016年冬詠)

柏手の頭上に青き注連飾

昨年12月22日、倉敷阿智神社での句です。一か月前には境内のテントの中で作られていた注連縄がこの日にはすでに飾られていました。新しい藁の青い色と匂い、いいですね。注連飾は新年の季語ですが一足お先に、、、。(2016年冬詠)

冬の雨捨田休田へだてなく

句会へ山道の国道を抜けて行くと、至る所に使われなくなった田圃があります。私の実家の田圃もそうです。稲作を止めたのは父ですが、きっと苦渋の決断だったのでしょう、帰省した私に謝りながら止める事を話しました。田舎を後にしている私には賛成も反対もする権利はありませんし、どちらかと言うと賛成でした。無理はしないで欲しいとか何んとか言ったように思います。あれから何年でしょう、そのような田圃を見ると、どうしても田舎を思い出してしまいます、、、。(2016年冬詠)