戻り来ぬままに軒端の燕の巣

実家に帰って普段閉めっぱなしの二階の小窓の外に燕の巣を見つけたのは一昨年の夏のこと。おっと危ない!邪魔をしないようにと下に降りて外から眺めると、親鳥の出入りしている姿がありました。それから一年、戻って来ていることを楽しみに帰りましたが、残念ながら燕の姿はありませんでした、、、。周囲を見回すと過疎化で水の入った田圃は年々少なくなっています。夜に聞こえる蛙の声も少なくなっています。先日蛙の合唱について書きましたが、人間との共生で出来上がった自然の営みは人間が減ると崩れていくものなのでしょうね。私もその要因を作っている一人なのですが、、、。(2024年夏詠)

水入りてより田蛙の夜となりぬ

毎年不思議に思う事です。田に水が入るとその日の夜から賑やかな蛙の合唱が始まります。稲作に合わせて蛙の生態系が出来ていると言う事なのでしょうか。歳時記では田蛙は春に分類されていますが、このあたりではちょうど今頃、すなわち夏の風物と言えます、、、。(2024年夏詠)

物憂げに少女が一人暮の春

散歩途中で見かけた物憂げに河原を歩く少女。たぶん近所の少女と思うが、そうだとすると知らない間にずいぶん成長したものだ。水色のランドセルで、「おはよう」と声をかけると蚊の鳴くような声でうつむいたまま「おはよう」と返してくれたのは一年生の時。愛犬もみじに「触ってもいい?」と聞いてきたのはいつだったか、、、。(2024年春詠)