普段は軒下に置いている植木鉢を雨の中へ。普段も水やりはしているけれど、自然の雨のようにはいかない。たっぷり降って、たっぷり吸って、たっぷり育てよ、、、。(2024年春詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
普段は軒下に置いている植木鉢を雨の中へ。普段も水やりはしているけれど、自然の雨のようにはいかない。たっぷり降って、たっぷり吸って、たっぷり育てよ、、、。(2024年春詠)
ちょっと離れた所にお寺があって、この時期になると「ぼたん祭り」がある。寺の境内に所せましと牡丹が植えてあって、お茶席やらいろいろな出し物が用意されている。その中に地区の中学校のブラスバンド部の演奏がある。その音が風に乗って我が家の庭まで聞こえてくるのである。なかなかの演奏で、それを聴きながらの庭いじりもこの時期の楽しみの一つになっている、、、。(2024年春詠)
何となく好きだった遠藤賢司の曲「カレーライス」。調べてみたら1971年の曲だった。三島由紀夫が割腹したのが1970年、歌詞の中にさりげなく入っている「誰かがお腹を切っちゃって」が三島由紀夫の事と気づいたのは実は最近の事で、そんな事とは関係なくノホホンと過ごしていた学生時代、、、。(2024年春詠)
気づけば晩春、青空に伸びたクレーンが太い柱を釣り上げている、、、。(2024年春詠)
そんなに変わるはずは無いと思うのですが不思議なものですね。なぜか濡れた音に雨を感じたのです。早いものです、もう晩春という季節、、、。(2023年春詠)
気持ちの良い朝は身体のあちこちを動かして、身体をほぐしながら歩きます。もちろん人目がない所ではです。人が現れるとごく自然に、何食わぬ顔にもどります、、、。(2021年春詠)
きれいに放物線を描いて行く釣糸、もう一度見たさにしばらく観察、、、。(2021年春詠)
桜が終わると道端に「ぼたん祭り」の幟が立ちます。近くのお寺のぼたん祭りです。コロナ禍の今はどうか分かりませんが、それ以前は観光バスが何台も来て賑やかでした。そのお寺のほうからゴ~ンと一つ、、、。(2020年春詠)
なんて言う色かな、薄緑でいいのだろうか、そんな事を思いながら眺めた境内を掃除する祢宜の着物の色。日本古来の物だろうから、色にも何かふさわしい呼び名があるのかも知れない、、、。(2019年春詠)
晩春の日差の中でダムのゲートから吐き出される水の白い輝きが見たくて出掛けたのですが、ゲートは閉ざされたまま、晩春の長閑さだけがあった去年の句です。今日は穀雨、、、。(2019年春詠)