春耕の傍に大きくラヂオ鳴る

昨年まで稲作だった田圃に大量の肥料を入れたり杭と紐で区画を決めたりして、何やら高い畝が作られつつある。傍に折り畳みの椅子が一脚置かれている。上に上着が置かれている。毎朝、毎朝、休みながら鍬を振られているようだ。何か稲ではない物を植えようとされているのだろう。聞いてみたいが聞かない。稔の秋が楽しみだ。掲句は昨年の別の家庭菜園での景、、、。(2022年春詠)

男の背乗せ春耕のトラクター

それだけ集中していると言うことだろうか。トラクターの運転席でひたすら前を向いて進んでいる男の後姿には人生を感じさせるものがある。仕事をしていた頃は休日や平日の会社帰りに暗くなるまで続くトラクターの音に、田圃が無くて良かったと思ったものだった。それがどうだ、今では散歩の途中で見かけるトラクターに乗った同世代の人の後姿を羨ましく思うようになってしまった、、、。(2013年春詠)