生きるもの生きて稔りの秋となる

旱続きで弱った木が葉を落としている。これも生きる術で、まずは不要の葉を落として必要な水分量を減らすのだろう。落ちた葉は紅葉して落ちた葉と違い、パサパサに乾いている。触れればボロボロと崩れてしまう。そうして生き残ったものだけが稔りの秋を迎える、、、。(2015年秋詠)

台風裡五時のウエストミンスター

東日本では台風被害が続いていますね。掲句は昨年、台風通過中の午後五時に、風に乗ってウエストミンスターのチャイムが聞こえて来た。そう言えば長年勤めた会社のチャイムもウエストミンスターだった、、、。(2015年秋詠)

抜きし稗抱へて漢無口なる

田圃も色づいて来ました。稗もしっかりと伸びています。最近の田圃を見ると3種類に分かれます。(1)人が入ってたえず稗を抜いている田圃(2)人は見かけないが稗は生えていない田圃(3)稗も雑草も伸び放題の田圃。掲句は(1)の田圃です。(2)は農薬かな、、、?(2015年秋詠)

銀漢に覆ひ尽くされ峪の村

子供の頃の実家周辺には街灯がなかった。だから家々の灯りが消えると集落は真の闇に包まれる。真上に、Ⅴ字に切り立った山を橋脚のようにして、銀河が横たわる。流星が見える。蚊取線香を点けて縁台に寝転がっていると時を忘れた。飽きることはなかった、、、。(1998年秋詠)

秋涼し風まつすぐに通る土手

川沿いにある土手の桜並木の、その端っこの辺、ここが一番涼しい。東西に開けている盆地の、最も東西が見渡せる位置とも言える。「あそこまで行けば涼しいからね」と犬に話しながら、実は自分に言い聞かせながら歩く。残暑はまだまだ厳しい、、、。(2015年秋詠)

戦争を知らぬ我等の終戦日

母は時々戦時中の事や岡山の空襲の事を話してくれたが、父からその時代の事を聞いた記憶は無い。終戦当時水島で飛行機を造っていた事も、父からではなく他の家族から聞いた。父が亡くなり初盆の時に、知らない名前の方から盆提灯が届いた。この時に初めて、父が当時の仲間と同期会を作り活動を続けていたこと、その知らない名前の方がその中のお一人だという事を母が話してくれた。子供の頃の記憶では、父に限らず、周囲の大人はあまり戦争について話したがらなかったような気がする。まだ戦後の色濃き時代だった、、、。(2015年秋詠)