木の実降る音は神代の昔より

昨年の倉敷阿智神社での句。阿智神社には大小さまざまな木の実が降ります。その音を聞きながら昔に想いを馳せるのも良いものです。阿智神社は航海の神様だそうです。その昔は阿智神社の下までが海だったとの事。と言うことは、大きな津波が来れば、そこまでは浸かる可能性があるという事なのでしょうか、、、。(2014年秋詠)

今生の別れに来しか秋の蝶

いつまでも暖かいと思っていたら急に寒くなった。一昨日の夜には木枯まで吹きだして、朝には庭一面が落葉に覆われていた。暖かい日が続くので、これなら蝶々も当分大丈夫だろうと思っていたのだが、、、。とは言うものの、今見られるのは小さな黄蝶がほとんどで、大きな蝶はすでに見られなくなっている。河原に伸びた草にぶら下がるようにして、じっと日を浴びている黄蝶がたくさんいる。やがて本格的な寒さが来れば彼らも目に付かなくなる。掲句は昨年、本格的に寒くなった後、暖かくは無い日だったのに揚羽に出会った日の句、、、。(2014年秋詠)

切れさうな街灯一基十三夜

今夜は十三夜です、、、。掲句は昨年の十三夜、二階の寝室の窓から見ると、街灯が一つと、ちょうど隣家の屋根の上の高い位置に十三夜の月が見えます。月は灯りが消えた家々を万遍なく照らしています。その下で灯ったり消えたりを繰り返す、その切れかかった街灯だけが人間世界の存在感を示しているのでした。今年はもう治っています、、、。(2014年秋詠)

露座売のギターで秋を奏で売る

また露座売の句です。こちらは429号線沿いの道の駅「かもがわ円城」の露座売です。ここは倉敷美観地区と違い、平日に通るといつも暇そう。その割りにいつも明るい小父さんの露座売です。この時は古びたギターを抱えてフォークソングを歌っていました。良く見ると売り物の一つで、同じようなガラクタが所狭しと並んでいます。そうそう、以前にもこのブログに登場してもらったことがあります。その時の句では居眠りを、、、。(2014年秋詠)

朝日差す刈田に株の影長く

素人考えになりますが、稲刈がコンバインになって切株の高さが増したように感じます。それに高さがまちまちです。一つには機械の特性と、もう一つは藁を必要とすることが無くなったからだろうと思います。全てが手作業で、藁を必要とした時代には、出来るだけ長く揃った状態で刈る必要があったのでしょう。その後の田を起していくにしても、株の高さが作業効率に大きく影響しただろうと考えられます。今は、ほとんど稲刈と同時に藁は裁断され、そして火をつけて焼かれるか、トラクターで株ごと一挙に返されるかです、、、。上り始めたばかりの朝日がその高い株の影を長く映しています。田の表面を霧が這うように流れて行きます。県北の朝はすっかり冷え込むようになりました、、、。(2014年秋詠)

白芙蓉ダム湖見下ろす団結碑

苫田ダムが出来たのは今から十年ほど前になりますが、構想が持ち上がったのは昭和32年とあります。私が津山の住人になったのはまだ反対運動が盛んな頃でしたが、やがて建設が決まり、今のダム湖の周囲を走っている道路の工事が始まりました。川沿いの道を走りながら山の中腹で行われているその工事を見たのですが、今はその出来た道を走りながらダム湖の水面を見ています。その道の途中のかつての村を見渡せる場所には、移設された掲句の碑と関連するいくつかの碑、かつての村をカラーの図にした記念碑があります、、、。(2014年秋詠)

黄落や坂に沿ひたる坂の家

掲句は倉敷阿智神社の石段での句。津山の鶴山公園下にも同じようなところがある。坂にある家だから坂に沿うのは当たり前だが、実に上手く造られていると思う。なおかつ立派な家が多い。学生時代に友人が留守番を頼まれているから遊びに来いと言うので出かけて行ったらそんなお屋敷で驚いたことがある。家の前にせり出した石崖があり、後ろに行くほど高い位置に座敷があって、そのさらに後の坂道を上った所に門があった。好きにして良いと言われているからと、ジュースやら何やらを台所から持ち出して、見晴らしの良い座敷でご馳走になった。友人は持ち主の夫婦は海外旅行でしばらく帰らないからと言っていた、、、。(2014年秋詠)

ビーナスに欲しき着るもの秋の雨

西川緑道公園にヴィーナス像があります。右手で腰の前を布で押さえ左手で胸を隠しながら恥ずかしそうに少し前かがみになって横を見ている、良く有る形のヴィーナス像ですが、残念ながらいつ行っても汚れっぱなしで、せっかくの白い肌が台無しになっています。恥ずかしそうなのは汚れているからかも知れないとさえ思えてくるのです。雨に濡れるとその汚れがよけいに黒ずんで見えてしまうのです。何か着る物でもあれば掛けてあげたいところ、、、。(2014年秋詠)