落武者の列の如くに曼殊沙華

衰えて雨に濡れた彼岸花、まるで落武者のようだと思った昨年の句です、、、。先日所用で実家まで帰って気づいた事ですが、313号線を走る道すがら、ずいぶんと彼岸花が増えました。一時コスモスが増えて、行けども行けどもコスモスの花でしたが、今は行けども行けども彼岸花なのです、、、。(2018年秋詠)

稲滓火の煙の中の日暮かな

せっかく乾いたところに雨が降っては敵わないと雨の前の夕方にはあちこちで稲滓火の煙が上がる。村中が煙に覆われるが、田舎だから文句を言う人はいない。こんな日はサッサと洗濯物を取り込んで煙に備える、、、。(2018年秋詠)

知恵の輪の解く知恵の出ぬ夜長かな

ほんの出来心で手に入れてしまった知恵の輪のセット、そのうちの一つが解けただけで、あとは知らぬ間にどこか目につかない所へ、箱に入ったままで、片づけられてしまったようだ。、、、。(2018年秋詠)

教会の硬き長椅子秋気澄む

十月です。掲句、昨年の秋、山小屋で仙人暮らしの知人に誘われて行った教会の文化祭(?)での句。仙人のコーナーには仙人がフォトジャーナリストだった頃の著書が展示されていた。手作りのクッキーとコーヒー、教会の方々は皆さんやさしい、、、。(2018年秋詠)

俳人の見つむる先の秋日かな

倉敷美観地区にある新渓園の四阿に我が師富阪宏己の姿を見つけた。一心不乱に句作されている姿は近寄りがたい。何を詠もうとされているのか、その視線を追った先には溢れる秋の日差とロダンの像、さてどんな句になるのだろうと楽しみに思いながらその光景を記憶に焼き付けた。ついでに俳句帳にも、、、。昨年の今日、これがお元気だった師との最後の句会となってしまった、、、。(2018年秋詠)