遠い記憶の中にいくつか、祖父の炭焼の場面がありますが、その中の一つが窯出しの場面です。真っ赤に燃えていた炭窯の焚き口に、練った赤土を塗って火を止めます。それから何日後だったでしょうか、窯出しが始まります。窯に入るとまだ暑いぐらいの熱が残っています。その暗がりの中に長さ1メートルほどの焼きあがった炭が整然と並んで立っています。それを壊さないように一本ずつ運び出すのですが、完全に水分の抜けた炭は結構硬く、炭同士が触れるとなんともやさしい金属音がするのです、、、。(2001年冬詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
遠い記憶の中にいくつか、祖父の炭焼の場面がありますが、その中の一つが窯出しの場面です。真っ赤に燃えていた炭窯の焚き口に、練った赤土を塗って火を止めます。それから何日後だったでしょうか、窯出しが始まります。窯に入るとまだ暑いぐらいの熱が残っています。その暗がりの中に長さ1メートルほどの焼きあがった炭が整然と並んで立っています。それを壊さないように一本ずつ運び出すのですが、完全に水分の抜けた炭は結構硬く、炭同士が触れるとなんともやさしい金属音がするのです、、、。(2001年冬詠)
昔は炭焼きまでされていたとはまさに自給自足的な生活だったのでしょうか?
自分の身の廻りでも掘りこたつに火鉢と七輪と炭が主役でした。
そうそう、炭を入れて使うアイロンも残っていました。
電気式の赤外線こたつなるものが登場したのはいつだったか?赤外線と言いながら
赤い光のランプの印象が強いです。
長い間木炭の検査員で県内各地を歩いていました。
だからたぶん、退職したら自分で満足出来る炭を焼きたいと決めていたのだと思います。
確かに燃料に関しては自給自足でした。
牛二さん皆さんコンニチハ!
乾燥しきった空気には有難い雨ですね、はや一月も行ってしまいます。
目まぐるしい世相に次第について行けなくなりつつの私ですが、
振り返ってみると、私達の育った時代は食料には恵まれませんでしたが
懐かしいです。私も小学生だったか中学に上がっていた頃だったか、
屋敷の西の栗の木の下辺りの岸を削り取った様な大穴の形をした
炭焼き場が有りました。夜中に祖母と起き出して、炭焼きの見廻りに行きました。
真っ赤な口の開いている上へスクモを掛けたり、焼き上がった炭の世話などです。
当時、最も怖かったその時の思い出は、川向こうの土手を
狐が提灯を提げて歩くというお話でした。
見たくないにのに遥か彼方の川岸についつい目がいって
しまい、灯りがぽっぽっぽっと連なって動く情景を確かに
見たような。。。当時の大人から伝え聞いた数々のお話は
怖いながらも子供達を楽しませてくれました。
こんにちは。
お互い田舎育ちですね。
今となっては懐かしいばかりですが。