陽炎や踏切越ゆるシニアカー

時々シニアカーを見かけるが一時的なもので、しばらくたつといつの間にか見かけなくなってしまうことが多い。単に行動範囲が変わっただけなら良いのだがと思ってしまう。掲句のシニアカー、前カゴにケースに入ったゲートボールの道具一式らしき物を載せ、ゆっくりと踏切の坂道を越えて行った。見かけ始めた頃は毎日見かけたが、今は見ることが無い。ゲートボール場自体にも今は人影が無い、、、。(2015年春詠)

彼岸会や若き住職子沢山

実家のお寺の住職は若くて、年齢から見れば自分の子供のようなものですが、よく勉強されていて法話を聴くのが楽しみです。と言ってもお寺の行事に参加する訳でもなく、父母の法事の時ぐらいのものですが、父の忌日が春の彼岸、母の忌日が秋の彼岸とこれまた横着者の息子には都合が良いのです。昨年が父の十三回忌、来年が母の七回忌で今年はちょうどその隙間で何もなし、お寺への足も遠のきそうです。その住職、たまにお会いするその度にお聞きする子供の数が増えているような、、、。(2015年春詠)

挨拶の土手の上下春夕焼

日が長くなって、あれこれしている内に散歩に出るのが夕焼けの時刻になってしまった。いつもの通り土手の途中の坂道を河川敷の公園に下りる。すれ違うように上の道を来る人がある。こちらもいつもと違う知り合いだが珍しい人だった。ちょうど土手の上下で挨拶を交わす形になった。お互いに珍しい人に会ったと笑って別れたが、冬の夕焼けではこうは行かない、、、。(2015年春詠)

踏切や東風の速さで一両車

散歩途中の近くの踏切でふと感じたことです。駅を出た列車がしだいに速度を上げながら通過する距離、駅へ近づいて列車が速度を落し始める距離にある踏切、どちらにしろ速くはないが遅くもない。微妙な速度です、、、。(2015年春詠)