息ついて坂見上ぐれば新樹光

阿智神社の石段はさすがに一気には上れない。坂道を鳥居のところまで上り、足を止めて石段を見上げる。覚悟を決めて上り始めるがどうしても途中で息が切れてくる。足を止めて、後どれくらいと見上げればまだ半分ほど、さらに見上げれば新樹光、励まされるように残りを上る、、、。(2015年春詠)

黄菖蒲や岸辺に昼の風生まれ

もうだいぶ昔になりますが、吉井川に大きな出水があって、河原が一面まるで新しい土地のようになったことがあります。それからいろいろな植物が生え始め、やがて次第にその種類も量も変わって今の河原となったのですが、最近は黄菖蒲がずいぶんと増えました。まるでちょっとした黄菖蒲園のようになっています、、、。(2015年夏詠)

少年のルアー躍らす夏の川

夏です。子供の頃は夏になると川に釣りに行くのが日課でした。竿は自分で作ったごんぼう竿、餌はミミズか青虫が定番でした。竿や餌を買うようになったのは中学生になってからですが、それでも今のようなルアーなんて物は有りませんでした。今の子供たちは持っている道具からして違います。もちろん竹の竿なんか使う子はいません。釣果はと言えば、それはまた別の次元のことのようですが、、、。(2015年夏詠)

行春の風になごりの寒さかな

例年ゴールデンウィークまでは暖房器具は仕舞わないようしています。今年も寒かったですね、連休初日までは。晩霜の注意報まで出て、農家の方は霜対策が忙しかったようでした。なんて事を書いていたら昨日はいきなり夏の暑さが、、、。掲句は昨年、同じ昨年の俳句帖に<ここに来て暑さ極まる暮の春>なんて句も残していますから、結局毎年似たようなものなのでしょうね、、、。(2015年春詠)

竹秋の野壺ぽつんと屋敷跡

ここに住みだした頃には既に屋敷は無く、周囲より一段高く積まれた石垣の内側は畑になっていた。屋敷の裏側(と思える方向)には竹薮があり、柿やら梅やらが植えてある。もともとの屋敷の便所の跡なのだろうか、大きな野壺が口を開けている。申し訳程度に腐れかけた板で蓋がしてあるが、もう少し草が伸びると所在が分からなくなりそう。もっとも昔と違い、野壺に肥やしが溜めてあるような事はないので、はまっても被害は知れている、、、。(2015年春詠)